講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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そんなわけで、チラシができました。
http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/
実は演目は最後まで悩んでたんですが、昨日、東京かわら版の情報締め切りが8日だったことを知って急遽決めた訳です。こうなったら「大隈重信漬け」の後は「宇宙漬け」でいこうかと。また「一年遅い」感じですね。でも、坂本龍馬は「一年早くから」準備してて結局儲かりませんでしたから、もうどうでもいいです。

「宇宙」案外というか当然、現代の閉塞状況を解くカギのひとつとしてあっていいんじゃないかと思っています。それについての自信の根拠が30年以上前に読んでいまでも暗記しているこの一節です。

「宇宙開発に使う金があるなら、もっと福祉など役に立つことに使えという人々の意見を聞くと、どうしても私は腹を立ててしまうのだった」
(A・ペリー『一万年後』より、うろ覚え)。

スキャンダラス嗜好の強いカッパブックスの本でしたし、科学的な根拠がどれほどあったかこれから読み返すことになりそうですが、この本は間違いなく一人の少年の絶望を救いました。

『ノストラダムスの大予言』は1973年、そりゃ今にして思えば笑い話だろうけど、小学生にのしかかった未来への絶望は、同級生にオウムに上祐史浩を出すほどの現実力をもっていた。そこへ現れたのが75年の『一万年後』だった。それは曇り空の上に広がる蒼天をありありとイメージさせてくれるものだった。

宇宙開発は何もテラフォーミングして移住計画をというような「壮大な夢」だけではない、無重力や完全な真空を安価に手に入れられる宇宙ステーションが出来るだけでも膨大な科学技術の発展が見込まれる、そのもたらす恩恵はもちろん医学など日常の「役に立つ」もので満載だ…というのも35年前に読んだ通りの記憶でしかないが。

「敵」を想定したもとにみんなが危機感をもって「団結」を促されるより、同じ坂の上の雲をみてみんなが希望を持って進む方がよいに決まっている。それは国単位でしかり、地球単位でしかり。「温暖化」や「仮想(じゃないと思うけど)敵国」に基づかないでドーンと夢をブチあげる。小学生の時に持てた夢が今も夢足りうるか、そういうことを考えながら「はやぶさ」講談のバージョンアップをはかってみたい。

まあ、自分もホリエモンや孫正義と同じ種類の人間なんでしょうね。収入は一億倍ほどちがうけど(泣。







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by yoogy | 2010-12-11 14:37
本当は【批評】と銘打って本腰入れて書くつもりだったのだが・・・。

初めて「iPad」の欠点を知った気持だ。いや、電子書籍の欠点というべきか。いままで電子書籍では、青空文庫の古典のほかは『志 孫正義正伝』『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』そして『拝金』と読んだ。購入がオンラインで済むので躊躇もなく、電子書籍だからこそ読んだのだと言えるかも知れないが…。

「書き込めない」

私は本というのは汚せば汚すほど愛着が出るものと信じている。古本屋に売ることもできず、本かノートかわからないくらいになることが本を愛することだと思っている(一種のフェチなのでマンガ以外はめったに売らない。マンガには書き込みしないから)。ところが、現時点での欠点ではあるだろうが、電子書籍は「書き込みができない」仕方ないのでメモ帳開いたり、「しおり」機能のあるものもあるが、この『拝金』にはそういうオプションがなく、それなのに三冊のうちで一番価格も高かった。なんでいまさらホリエモンに大枚千円も払わなきゃならんのか、と腹立たしいのは事実。

そして、批評を書こうにも、しおり機能もないし、パラパラとアンダーラインを引いたところを確認もできないから、まさしく「印象批評」にしかならないから「感想文」としておく。

では感想。

ホリエモンは自分が思っていた人間像を寸分裏切らない人物だった。

ホリエモンを論じる時、確実に「金」の問題を論じることになるわけで、絶対に冷静に論じることはまともな人間にはできない。彼が「何の努力もせず」右から左に数百億円を得たことを認めてしまえば、自分の人生観すら揺らぎかねない。虎の檻の中に入って虎を観察することが不可能なのと同じだ。

この『拝金』の中で、自身がモデルとおぼしき若者は、「オッサン」(これも自分がモデルなのだろう)に導かれてゲーム開発を切っ掛けに「ヒルズ族」として時代の寵児となり、ホリエモンの駆け上がった道とほぼ同じコースを成り上がる。その成り上がり方は上品なものとはいえないが、それに耐えて読み進むと、「バッファローズ買収騒動」から「フジテレビへのTOB」へと話が進んでゆく。当時の成り行きをフォローしていた人間にとっては大変興味深い。まるで客席で見ていた手品を、こんどはタネがまる見えのバックステージから見ているような。

そして、いろいろ溜飲がさがる。「ホリエモン」を時代の寵児と見ていた時、彼が壊そうとしていたものに感じていた反感を、彼の逮捕という事実によって否定されたと思っている人には是非読んでほしい。あの爽快感が戻ってくる。「滅びるべきものは滅びるべくして滅びよ」バブル時代ですら感じられなかった「進歩」というものが一人のカリスマを通して感じられる快感、とでもいおうか。

だが。

だが。

彼はしかし「英雄」ではなく「マジシャン」だったことも、バックステージに回ればよくわかる。ゆえに、その「手品」を信じてしまった人間がやがて道を見失い絶望していったことにも思いいたる。「自分が一生かかっても稼げない金をあっという間に手にしてしまう」ことも、その金が本物だとしても、それは「マジック」だったのだ。タネを知っていれば誰でもやれた(もちろん、才能と努力は確実に必要だったにせよ、ホリエモンでなければできなかったワケではない)だが、ルビコンを渡った人間はやはり評価されなくてはならない。

いま、今日、話題の日本のエライ人をどうしても好きになれないのは、ライブドア事件の時、彼は凡庸な法律論を述べることしかできなかったという記憶があるからだ。マジシャンは詐欺師ではない。法律を犯すことはもちろん肯定できないが、そこに存在するさまざまな多様性を認識した上で法律を根拠として「あえて」選択するのととりあえず法律を持ち出しておくのとでは天と地の差がある。かの人に「革命」はできまい。

ではホリエモンを「革命家」とまで評価していいのかというと、本人もわかっているのではないかな「今のままでは否だ」と。だからこそ、あえて自分の「成功」の顚末を「操られた」ものとして描いたのだと思う。

『拝金』は読まれている。だが、たとえばツイッターで読むような感想の多くは、ライブドア時代の「カリスマの夢をもう一度」としてしか読んでいなくもなく見える。あえて言う。これは彼の「自己批判の書」でもあるはずだと。


ドラマ『ハゲタカ』とこの『拝金』。ふたつのフィクションは、いっこうに出口の見えない「市場至上主義社会」の出口をクラインの壺のようにかいま見せてくれている、はずである。
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by yoogy | 2010-08-27 00:14
ホリエモンとのかかわりは、もう数年になるのか。独演会の入場料をライブドアの株価にしたり、裁判を傍聴に行ったり。自分は「ホリエモン信者」ではない。むしろ被害者である。それでもこの本は誤解を恐れずレビューを書く気にさせるものだった。

(※SNS mixi日記より転載)


【書評】と銘打ったからには本気で書く。このあいだ、飲み屋でホリエモンと坂本龍馬の共通点について語っていたら殴られかけた。だが、昨日『ラ・マンチャの男』を見直した自分には恐れるものなどありはしない。

初めに。太ったなホリエモン。留置所から出てきた時はあんなにスラッとしてたのに。太るのは悪いことではないがBMIは正常値に保て。君は長生きをしなくてはならない。

1章・日本は幸福な国なのか/もちろんそうでしょ。水道水がナマで飲める希有な国。誰でもインターネットが使える世界一恵まれた国。
2章・貯金と借金/35年間、同じ会社に勤めて、給料が上がり続けるなんて虚構ですよ。年収300万の人が50万コツコツ貯めたって無駄です。
3章・マネーと教育/貯金を美徳だって信じてはいけません。でないと悪い人に騙されるだけです。
4章・ルールの運用は恣意的に行われる/後期高齢者医療制度って当たり前のことに思うんですけどね。年寄りばかりが選挙に行くから止めちゃったね。
5章・いつだって先行きは不安/内定取り消しとかに文句言ってるヒマがあったら、もっと前向きに生きればいいのに。

以上は「俗情と結託して」この本の内容をまとめたものである。これがわれわれの知っている「ホリエモン」の正体だ。人の心の綾や機微を分かろうともせず、金だけで世の中を割り切って、平然と従来の道徳を否定して自分の成功だけを考える、傲慢で独りよがりで能天気な「ホリエモン」である。

だが、こうしてまとめたものを信用せず、本書を読んでみれば誰もが驚くであろう。この本のテーマは「若者よ夢を持て」ということなのだから。

P143「だから誰だって、別にアキバ事件の彼だってやれたと思いますよ。会社やろうと思ったら。全然、全然やれたんじゃないですか」「全然」という副詞の使い方が間違っている。かつ不必要に重複している。この本はインタビューなので、彼が語ったまま文章を起こしたものだろう。彼の「涙」をここに見るとしたら、それは針小棒大なロマンチシズムだろうか。

本書の副題は「僕はお金の正体がわかった」となっている。元祖の資本論が「貨幣」というものの正体から労働価値と社会構造に迫ろうとしたものだからその志は同じである。ところが元祖は世界中の人間が脂汗をかいても全巻読めないシロモノで、こちらは一時間もあれば読めてしまう。

彼はいう「お金とは信用を数値化したものだ」。「信用経済」という用語を知っていれば何をいまさらと思われるだろうが、「お金」については人が檻から放たれた虎を冷静に見ることができないように客観視することの難しいものだ。「金の亡者」ホリエモンには金の本質など語れようはずもない。だが「信用」とは「自分で作り出すことのできるものだ」と展開させる時、「お金」のもっていた絶対的地位がやすやすと階段を下りてくるのを感じることができる。

お金のないものに「お金を作ることなんて簡単だ」と「あの」ホリエモンが言っても説得力があるはずがない。「お前は犯罪者だろう」「たまたま運が良かったんだろう」「才能がある奴には何とでも言える」後ろに行くほど金の絶対的地位は下がるわけだが…「信用」を作ることなら、誰にでもできるだろう。それは人との関係の中で作られる。もちろんネットを通じてだってかまわない。「たとえば旅行をしたい時、お金があれば簡単だけど、お金がなければヒッチハイクをすればいい。僕はさんざんやりました」ヒッチハイクは「犯罪」でもなければ「強運の持ち主」でなくてもできる。ましてやまさか「才能」は必要ない。ただ人とのコミュニケーション能力があれば…それだって、ヒッチハイクをしながら身につけていけばいいことだ。

つまり、「お金」とはそういう「信用創造」の延長にあるものだ、というのだ。「能力があれば」ともちがう「コネがあれば」というほど卑しくない。そして「信用」こそが「お金」の本質であるということは難しい理屈でもない。

『ハゲタカ』というドラマの中で老職人がつぶやく「金なんて…紙きれじゃないか…ただの紙きれだよ」職人が「ホンモノ」であるから言える強がりでも妬みでもない一言。その「紙きれ」のために人は血と汗を流す、時には他人のものまでも…。それは「紙きれ」が「絶大な信用」を纏っているからだ。紙幣は国家の、通帳の数字は銀行の、ネットのトレードは各取引業者の。「お金はもともとバーチャルなものだ」それを実践において理解することは、「虎は猫と同じだ」と虎の喉をなでてゴロゴロ鳴らすよりも難しい。だが、観念において理解することは誰にでもできる。

前回の『徹底抗戦』を読んだ時、ホリエモンは実は「金に執着が薄いのではないか」と思ったが、今回その思いを強くした。彼は本の中でも書いている通り本当に「月10万円で暮らす」ことに「恐れ」も何も感じていない。遠い昔、ホリエモンを信じた根拠「具なしのお好み焼きで暮らしたことがある」はまだ消えてはいないようだ。

日本では酒造メーカの「一位」と「二位」の会社が合併するという。従来なら考えられない動きだが、実は世界的な順位で考えると何も不思議なことではない。今後日本の内需は100%減少に向かうのだ。「三丁目の夕日」のように人口が増えると同時に豊かになっていった時代の再現はもう有り得ない。ノスタルジーに浸るより「もっと前向きに生きる」ことを強いられる。その時、われわれは「観念のホリエモン」となることを避けるには「実像のホリエモン」の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。「信用」を創造するためには「情報」は不可欠なものなのだから。

「若いうちは、思い切ってレバレッジをかけて、大きく勝負すればいいと思います」その根本は決して「額に汗しない投機的な勝負」ではなく「自分の信用を創造するコミュニケーションスキルの開発」に基づく勝負。つまりは「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と彼は言っているのだ。どこかしらに痛みを伴いながら。

・・・・・・・・・

↑この書評は中途半端といわれるかも知れない。
(ただでさえ長くなりすぎたので)
「ヒッチハイクができるからって、何百億もかせげるようになるのか?」なると思う。というより、この関連がわからないと自分で金を稼げるようにはなれないだろう。彼の結論が100%妥当だとは思わないけれど、お金に縛られないためにはお金を別の角度から見る必要があることは間違いないだろう。
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by yoogy | 2009-07-31 19:05 | レビュー
34度の夏に、またもや二日連続でお台場へ。

今回はフジテレビではない、本当の「台場」だ。

今朝、5時起きで仕込んでいってついに暑さに負けてお客さまに話せなかったことを書くことにする。

この「台場」を挟んで、左手にはフジテレビ、右には遥かに六本木ヒルズ。1853年の夏、黒船は遥か羽田沖までやってきた。金融ビッグバンの落とし子も同じ場所へやってきた二年前。

この「台場」を築くために全力を使い果たした韮山代官・江川英龍は55才で死んだ。その場所に立って150年後の黒船を思う。

江川を含む「尚歯会」(渡辺崋山、高野長英ら)のメンバーは海外の脅威から国を守るため洋学を吸収しようと勤めていた。結果が、朱子学を中心とする「林家」の一族である町奉行・鳥居耀蔵の捏造による大弾圧をくらった。これを「蛮社の獄」という。崋山は自害、長英は逃亡の末幕吏の手で惨殺された。

ホリエモンの逮捕と一連の事件は、私の中では「現代の蛮社の獄」だった時期が「あった」。

ペリーは、のちのあの激戦の小笠原諸島を「アメリカ人が住んでいる」という理由だけで手に入れかけていた(まさしくスティール・パートナーだ)。その時日本を救ったのは、過去に弾圧されて死んだ林子平の小笠原の領土問題を記録した『三国通覧図説』のフランス語訳だった。もしこの本が海外に持ち出されていなければアメリカ国境は何万キロも西にあったはずだった。

知は常に弾圧される、弾圧されねば有効な知ではないとさえ言える。江戸末期の動脈硬化した国家に進取の精神が活躍の場を与えられたからこそ現在の日本があったはず。

江川英龍の門下には桂小五郎、佐久間象山、その門下には吉田松陰、勝海舟、その門下には龍馬…。彼らは「その日」この沖に間違いもなく「未来」を見ていた。この台場に立ってそれを思いやる時、フジテレビはすでに視界から消え去るのだった。


・・・・・・と、ここまで喋るつもりだったが・・・・・・。





あ、オチは「その時も<阿部>政権だった」というものですが。






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by yoogy | 2007-08-09 20:13
だれがなんと言っても、私は村上世彰を擁護したことは一度もない。あれだけ親ホリエモンの態度をあらわしていても、である。

これには「やったことではなく、やった人への好き嫌いで善悪が決まる。美しい国ニッポン」という批判も聞こえる。はい、その通り。ホリエと違い「具なしのお好み焼き」の味を知らない村上は仮に庇う要素があったってかばいたくない。

それにしても「お金を稼ぐのは悪いことですか?」という問題に誰も答えてないね。NHKの『ハゲタカ』の中で主役の鷲津にこのセリフを言わせた以外ひとつも知らない。

さあ、『ドラゴン桜』の桜木弁護士(阿部寛)ならどう答えるだろうか?

「悪いことか、と聞かれたら<悪いことです>とは答えられないわな、何しろ世の中の連中がみーんなやってることだ。それが<悪いことだ>としたら世の中ぜーんぶ悪い奴になっちまう。それがわかってて奴は質問したんだ、さすが<東大出>だ」

「んだよそれ? じゃ、あいつが正しいってことかよ」

「だからおまえらバカ、なんだ。東大出の罠にコローッと騙されちまうんだ。いいか、<金>ってのは力だ。力がなきゃ死んじまう。じゃあ、力を持つのは<悪いこと>か? <悪いこと>じゃあねえ。じゃ、<いいこと>か? ここだ、問題は。たとえば金の力ってのは武器と同じだ、自分の身を守るために最低限は必要だ、家を守るため、町を守るため、国を守るためにはたくさん武器が必要になる。じゃあってんで、隣の家が自分を守る力だってんで、銃を持ったり大砲を持ったり、果ては核兵器まで持ったら、そりゃ<いいこと>か? そりゃ<悪い>といい切ることはできないが<気持ちのいいこと>ではないわな」

「けっきょく、何がいいてーんだよ」

「要するにだ。力を持つんなら、その方向が、ビジョンてものが提示されなきゃいけねえんだ。村上は大砲を貯め込んでる隣の家みてえなもんだ。それが受け入れられるための、ビジョンてものを提示することを<怠った>んだ。・・・もちろん、そんなものがあ、れ、ば、の話だがな。<ズル賢い連中>に騙されたくなかったら、テメエらも東大へ行け!」

ジャカジャジャッジャッジャージャー、ジャジャジャジャジャジャー♪

つづく
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by yoogy | 2007-07-20 07:12
(以下は、クローズドな日記に書いたものです。表現が一般的でない部分はご容赦ください)

おっと、今日は「引きタイトル」ではないです。

マスコミは相変わらず論理的ではない堀江批判を続けている。動画のないインタビュー内容も「ほら、この男はこんなに悪いヤツですよ」というメッセージしか聞こえないものばかりだ。テレビを買おうとされた後遺症だろう。マスコミがインターネットに利権を奪われたくない気持ちは理解できるが報道が客観性を欠いては自分の首を締めるばかりだ。

昨日の日記のレスの中で「マネーのことを不勉強というより勉強したくないのだ」と書いた。いつものレトリック先行のようにも思えたが手前味噌ながら本質を突いたかも知れない。

「金のことを客観的に論じるのは難しい」ということを、フリーセックスの問題に例えてみる。おっと、講釈師ともあろうものが蟹行文字はいけねえや、「性的放縦」としよう。

こうして例えてみるだけでどんなにこの問題を論じるのが困難かがわかる。

堀江が金について行ったことを「勉強したくもない」という心理は、たとえば「性的放縦」が横行し始めた頃のマスコミの道徳論にもたとえられる。「性的放縦」を抵抗もなく受け入れた若者たちを論じる時、しかめつらしい顔をしてその非を口にする世論はしかし自分たちの欲望から自由ではない。

もし、新しい時代の「性的放縦」が正しいことで、それを謳歌する若者たちが秩序の破壊者ではなく新しい秩序の構築者だったとしたら自分たちの根本が否定される気になるだろう。言葉にすると「自分たちが我慢してきたことがただの愚かさだったというのか?」。もちろんそんなはずはなく、そんなはずがない以上、新しい時代の担い手は「間違って」いなくてはならない。その論理など知りたくもない、なぜならそれはいかなる論理をもってしても「正しくあってはならない」からだ。

もし、堀江の行為が正当だとしたら、さして苦労もしたように見えない、高貴な血もなければ美しさも持ち合わせない自分と同じ人間が簡単に数千億を動かすのが新しい時代だとしたら、自分たちが血のにじむ思いで稼いできた数千円の日給と、そのために放棄してぎた可能性は何だったというのか!

だが、この二律背反は最も重要な前提を考えに入れていない。堀江の手元に今も残る数百億円と自分が血と汗と土下座で手に入れた○万円は本来比較できない、ということだ。こんなことはマルクスも柄谷行人も読まなくても、本来世間にものを言う立場の人間は理解していなくてはならないことだ。しかし論理だけを行使して結論を導くには、金の問題は「人間的でありすぎる」のだ。

「性的放縦」の例に戻れば、出会ってすぐ肉体関係を結ぶ関係と、死を覚悟し戦地に向かうのに接吻のひとつもかわさぬ関係とは本来一般化して比べるようなものではない。だが、人はそれを比べ得るものと思いたがりがちだ。貨幣と性との類似性を論じている余裕はないが、「金」の問題の方がよりいっそうこの罠にはまりやすい。

確認しておくが、自分は「性的放縦」を「新しい、正しい秩序だ」などと考えたことは一度もなく、従って堀江が築こうとしている新秩序にもまだ正しさなどは見えていない。ただ、それを固陋で俗情と結託した(おおおお! まさか人生でこの表現を使う機会があろうとは!すがひでみいいいい)道徳観念でしか批判できない現状には情けない思いがする。だからついつい擁護にまわってしまうのだ。

「男女七歳にして席を同じゅうせず」と本当は言いたいのだがそれが自分にもウソをつくことだと認めねばならないように、「金は額に汗してかせぐものだ」という批判がどれほど有効でないかを
http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/99horie.htm
では言いたかったわけだが、それを受け入れられるものにするほどの創作力と芸があるかどうかは別の話。

そして、もし現状の「金」の意味について知ってしまったら、自分が崩れてしまうという恐れが蔓延するのが一般の世論である以上、マスコミも固陋な古老を演じるしかないことも認める。ただ、明日の判決に対する反応に、少しは理性を見せてほしいと思うのだ。

もういいよ、堀江擁護派で。ただしその秩序破壊の、別に恩恵を受けたわけじゃねえぞと言いたがる自分の、そこが限界だろう。
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by yoogy | 2007-03-15 20:47
今日はお茶の水から湯島にご案内+高座の仕事。
裏テーマは司馬遼太郎。なにしろ『街道をゆく』を読んだせいで湯島聖堂で二年も漢文勉強しちゃったから。銭形平次とハチがホームズとワトソンだとか、「婦系図」のお蔦主悦が泉鏡花の体験談で「先生」は尾崎紅葉だとか、飛ばす飛ばす。雨なのが残念。

昨日買った『サラリーマン金太郎 マネーウォーズ編』。要するに講談の限界点はここだと思う。つまり、漫画が「正確さ」より「倫理性」より「盛り上がり」を原理とするように、講談もここを目指すものなのだと。金太郎の持つ「男」という物語の盛り上がり。ここから先を望むなら物語を捨てるしかないのだと。

金太郎のケンカの相手はとうとうジョージ・ソロス。まあこの、マネー編一巻に出てくる人物の顔ぶれだけで、けっきょく自分が「これ」の追従者であることははっきりする。あきらかに司馬先生も生きて出てくるし、ジョージ・ソロスは金太郎に向かって坂本龍馬を説くし。(そういえば、いつか夢の中で「日本のジョー・ソロスになれ」という言葉を聞いたんだが、あれは何だったのか? ちなみに、マンガの中の役名は「ジョー・ロス」)。

結局、金太郎は「侠客モノ」なんです。つまり、日本人が、特に男性がアウトサイダー、もしくはアウトローとして、権威に頼らずに生きるための祖形を踏襲している。金太郎は本質的に893だし「サラリーマン」を機能集団から「血の通った組織の組織員」として取り戻し得ることを描くことがこのマンガの目的だったはず。だからかならず最後は抗争になるし、金太郎は必ず「ゲンコツを使ったコミュニケーション=ケンカ」に勝つ。

スゴイのはジーョジ・ソロスですらが、金太郎とのマネーウォーズに負けて「俺はまだ引かん!」と言った途端「謎の大物」から電話がかかり「手を引け」「ハッ」とその道の親分よろしく素直に引き下がってしまうところ。地球にはどんだけ親分がおるねん!

要するににアウトローですら、その生き方を保証するのは「裏であれ」表であれ「権威」の存在。だから「枷」ができる、だからそれに反抗する「物語」が作れる。

ジェームス三木氏が「物語の主人公、とは問題を自らの力で解決してゆく人物」そりゃあらゆる物語でそうだろう。誰かが敵と出会ってそれをいつも解決してくれる存在がいたら、そっちが主人公だろう。ねっ、ドラえもん?

だが、今回の金太郎のケンカは「市場」という絶大な存在感を誇りながら抽象的な場所であり、しかもケンカはネットを通じてしか経過を知ることができない。「仲間がやられそうです」「なにいいいいい!」とサラシ巻いて出かける場所はどこにもない。マネー編のクライマックスがなぜか個人ジェット機の中で相場の動きをパソコンで見守る金太郎。これ、ジェット機が苦肉の策であることに気づくと、「もはや<男>のケンカではない」。

なんとか舞台を新しくすることで<男>の物語を描いてきた金太郎だったが、もはや、金太郎が絶対に浮気をしないという描き方も含めて、アウトロー・権威への(より上位の権威に保証された)反抗、男=殴り合い、の三点セットは終極を迎えたように思う。第一、ジョージ・ソロスに勝っちゃったら、あとケンカの相手なんて「アメリカ正規軍」しかいないだろう。

もう一度確認してしまうが、金太郎の限界は講談の限界でもある。「物語」全般とまでは言わないが、「血涌き肉踊る」<ケンカ>というクライマックスはもう、ノスタルジーとして以外は描けなくなったのかも知れない。「頑張れ!金太郎! 浮気ぐらいしてくれ!」 と声援しても虚しい限りか。

ちなみに、金太郎もホリエモンを完全に肯定して描かれている(逮捕前だろうが)。
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by yoogy | 2007-02-23 19:27


以前、ラジオでしゃべった時が、番組の求めに応じて一番ホメた記憶がありますが、そのときにもディレクターから「犯罪容疑者を賛美しないように」とメモがまわってきました。

思うに、「ホリエモンしかヒーローにならない時代」とうことではないだろか。自分たちが子供のころ、いや、バブルの頃ですらあれだけ「金」のことしか言わない(株のことしか、というのが正確だが)人間は、どんなに稼いでいても単に「下司」ということで、もっといえばそのあとに「野郎」をつけることで、心の中ではうらやみつつも価値観としては切り捨てられていたに違いない。

3日の日記にも書いたけれど、いつのまにか自分たちが「経済的な成功者」を「勝利者」としてだけではなく「正しい人」と考える、考えたがるようになってしまった。正直自分はそうなっていたと告白するしかない。だが、世間全体がそうではなかったか。

ホリエモンの登場の仕方を思い出してほしい。まさしく「金の事情」で「夢の世界たるべきプロ野球」が侵されそうになった。その「夢」を救うヒーローとしてあらわれた。だからこそ人々は彼を認め、その後の敵対的買収やさまざまな言動を「かれは夢の守護者のはずだ」と「正しいもの」と考えてきた。それがいつの間にかゆっくりと「夢」=「経済的奇跡的成功」にズレていったその過程を思い起こしてほしい。

ここで「小泉改革」とからめると2ちゃんねらーに批判されるが、完全に軌を一にしていたことを思ってほしい。「彼」の登場もまた、まったく同じ、既成の硬直した論理からより大事なものの「守護者」としての破壊者であったことを。

つまり、ホリエモンの否定は、自分たちの守りたかったものの一部に手をかけることになるのだ。だからあるものはヒステリックに批難し、あるものはいまだに信じようとする。そして現実は「ホリエモンにしか抗えなかった現実」に侵食されつつある。いや侵食されつくした。

確率的にももう傍聴できるとは思えないし、実際裁判所に行くよりテレビを見てる方がわかり易いこともわかってしまったが、ホリエモン問題は簡単には過去にできない。

これも何度か書きましたよね。
「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」(B・ブレヒト)
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by yoogy | 2006-09-04 23:59