講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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消えてしまった

HDDの整理をして、重要なファイルのバックアップを取りやすくしようとしてファイルを移動していたら、ここ三カ月の日記がすべて消えてしまった。

もともと新作・古典の原稿などとともに「最重要フォルダ」の中にあり、バックアップも何カ所(冗談抜きで数十カ所)にバックアップがあるのだが、それも二、三まとめてしまったのが悪かったのかも知れない。

ファイルの日付けの異常か何かで、最新版が急版に上書きされた、くらいしか原因が考えられない。

まあ、日記については明らかにミクシィの方に力が入ってるが、それでも大晦日の「一年のまとめ」などが永遠に失われたのは残念だ。

三カ月、岡山の高校での口演から演劇大学までか。しかし、その他の生活では幕末の小説を読み続けている以外、いささか怠惰に流れていた気もする。

日記が消えたせいで経験も消えてしまうような生活と言えなくもない。

温かくなってきたことだし、少し気合を入れよう。

というわけで、音声ブログの三月再開など、少し動きます。
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# by yoogy | 2009-02-15 13:49
多かったんだろうなあ…。最新刊買おうかどうしようか。

演技論続き。
せっかくだからガラスの仮面の話から入れば、「北島マヤ」という天才はまずは「模倣と感情移入」の天才であり、確か最初の方に、たった一度見たお芝居を完全に再現できるというシーンがあったはず。「天才度」などという尺度があるとすればこれはモーツアルト並の天才で実在するとすればいわゆるサヴァン症候群に近いものではないかと思ってしまう。こういう使い方はいいのか?

だが、彼女の「天才」はある戯曲と遭遇することで危機に瀕する。それはシェイクスピアの『真夏の夜の夢』であった。台本にはこう書かれている「これこの通り」(いったい、どんな動きをするのかしら?)とこの天才は悩む。いかに模倣と感情移入の能力があっても、「妖精パック」を見物に行くことはできない。他人のパックを見てもそれは使えない。

ここから別の話になってしまうのだが、「演技」にはこういう分け方もある「シェイクスピアの戯曲を上演できる演技論とそうでないもの」。テレビや映画でふつう目にする「演技論」はどちらかといえば「そうでないもの」に分類される。

私論。世界で映像表現(劇映画)において支配的な演技論はモスクワ芸術座のルーツであるスタニスラフスキーの演技論である。劇映画のメッカはしかしハリウッドということになるが、ここには「リーストラスバーグ・アクターズスタジオ」の存在があり、名だたるハリウッド俳優はみなここで教育を受けた。ここの演技論もまた「スタニスラフスキーシステム」である。

この演技論はひとことでいえば「本気になる」ということで、いかに「本気になる」かを方法論として確立させる教育を行う。東京に出てきた当初、いろんな劇団やワークショップを渡り歩いていた頃、アクターズスタジオ出身の先生のところにも行ったが、その時覚えているのが、エチュードをやっている時、先生が、舞台が高揚してきたのを見越して机の上においてあった小道具のうち「尖ったもの」を演技中にもかかわらず隠し始めたこと。つまり「本気になる演技論」は感情的なシーンを演じさせた場合、そこにナイフがあったら相手を刺してしまう・・・というレベルの感情移入を理想とする。スタニスラフスキー・システムの神髄を見た思いだった。

で、ですね、

この「本気になる」演技論では「妖精のパック」はやはり完全にはできないわけですよ。やり方はある。「パック」の「妖精」の部分を無視して、一種の類型としての日常的に散見し得る「妖精みたいな人」の内面を模倣すること。しかし、それでも、たとえば毒を飲んだあと延々と韻文を語るような台詞を「本気」でやるのには無理があるわけです。

私が「演劇」というものを何度か「体感」した瞬間のひとつにNHKで見た早稲田小劇場(現SCOT)の『トロイアの女たち』があるのだが(ギリシア悲劇に欧陽菲菲の『愛の十字路』を重ねているシーンを見た時、今に至るまでの自分の運命が決まった気がいまもしている)、鈴木忠志氏のシステムもまた「シェイクスピアの戯曲を上演するための方法論」のひとつだと思っている。「内面のリアリティ作りの幻想」ではない脱スタニスラフスキー。これまた、白石和子さんが上演後、瞬間的に「素」に戻って客席の知り合いに声をかけているのを見て驚いた体験アリ。

土曜に講義する「講談の演技論」は一体どちらに近いのか。これは明らかに後者といえる。故・二代目山陽から内面について教えられたことが一度もないし、何よりもひとつひとつの「役」に入り込んでいては「役」同士の対話など出来るはずもない。講談は基本的には「韻文」を扱うものなので(実はこのあたりが「新作講談」というのの困難さなのであるが。つまり、「韻文」で物語を書く必要があるという)当然であろう。

長くなった。

今宵はここまでにしとうございます。アデブレーベ・オブリガード。
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# by yoogy | 2009-01-28 21:34
二週間日記を書かなかった。

一度、何か酔って書きつけた覚えがあるが、なぜかアップされていない。

一週間ほど郷里にいた。

その間には『歳月』『胡蝶の夢』と幕末を読み進んでいた。

自分のブログに「日本幕末化計画」というのがあるが、明治の「革命の後の悲惨」を知るにつけ、ただ乱世を焚きつけるのも無邪気すぎるという気もしないではなくなってきた。

東京に戻る時は久々に「昼間」長距離バスを使った。中央線は東海道よりも時間がかかるが後ろの席が開いているとのびのびとして家にいるよりもむしろ読書が進む。今後も利用することにする。

ただ、作中の不遇の英才(『胡蝶の夢』の伊之助など)にあまり感情移入するとバスの景色が現実からの遊離に作用する。桑原桑原。

今週は横浜で演劇大学の講義がある。さて、どの程度演劇論を入れるか。



舞台上での「演技」という技術を大別すると、私見だが二系統に別れるだろう。スタニスラフスキー系とブレヒト系、リアルな感情再現系と「そういうものに自覚的である」系といえるか。

師匠(二代目山陽)から講談を教わる時驚いたのは「感情移入」に関するメソードが一切なく、たとえば「体が疲れているようにやってごらん」と実にフィジカルな教え方をされたということだ。

このあたりをどう伝えるか。おそらくそれは、生徒の質に左右されることになると思う。

少しこの日記を利用してまとめていくかな?
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# by yoogy | 2009-01-25 21:32
「上・中」読了の段階で中途半端な感想文を書いたことには意味があった。あの時点が自分の河井に対する評価の最高の時点だったようだ。

さて、「引き」目的のタイトルを先に解決しておく。

「・・・読者やこの稿の筆者は後世にいる。後世にいるものの権能はちょうど神に近く・・・」(新潮文庫版258p)。河井継之助の「一藩独立」長岡藩を日本のスイスとして国内和平の要となるという理想がまさに実現しようとする大事な交渉を前にして、会津藩の窮地からの謀略(長岡藩が官軍に反攻したという偽装)を知らぬ河井と知る読者。そう、史実に基づいた歴史小説を読むことはまさしく自らを「神」とすることに他ならない。

これは「実録」を建前とする講談においても似た機能で、あらゆる災厄を事前に知りながらそれに翻弄される人間の行動や葛藤を見守るという自己同化はカタルシスを目的するとはいえ神のそれに近い。

そして重要に感じることは、どんなにその人物に同情しようが、「現実の神と同様に」その運命には一切の影響を与えることはできないことだ!

「上・中」を読んだ段階ではその命をも惜しまぬ精神的な猛勇に憧憬を抱いたほどだったが、最終段階での官軍との交渉の決裂におよんで、彼は理想を現実化する政治家から、前回に書いた「自己陶酔な人工的武士道」の徒に堕ちてしまう、と自分には読めた。

ついに開戦を決意する時の河井の内面
「この戦争の意義について考え続けた。-美にはなる」
司馬遼太郎を読んでいて、初めて反感を抱いたシークエンスがここから始まる。「力なき正義は無意味」と現実に必死に武力を蓄え続け、自国の存亡ひいては日本という連合国家(当時)の未来にまで道を示そうとした「現実的な政治家」河井継之助は



「詩へ飛躍した」(原文のママ)



かつて三島由紀夫が石原慎太郎に「政治家が夕日が綺麗だからといって移動中に車を止めて夕日を眺めるようではいけない」と忠告したそうだが、これは三島の肩を持ちたい。

河井継之助が「政治家」たることを捨てて一介のヘボ詩人になってしまったのだ。

小説では伏せられたていた(司馬先生はそれでも別の短編では明らかにしているが)墓にさえ憎悪を浴びせられた「失敗者」河井がここから始まる。

彼の理想が政治から文学に転ずるにあたり、領民の凄惨な死をもってその動力とした。孫の遺体を洗う老人の前でいかに悲嘆の涙にくれようが、それは感傷にすぎず、むしろその涙を免罪符にしようとする卑怯さがある。
この犠牲は「結果としての犠牲」ではない。河井ほどの脳力があれば、十二分に予想できた未来であり、それに涙することを「自作自演」と呼ぶことに大過はあるまい。

仮に司馬(今回呼び捨て)の書く、革命の横暴への歴史的批判を残すための方法であったとしても、最低限、自ら命令をくだしそれに「顔を見て」承服させる武士団の犠牲までしか持ち駒はなかったと思う。本来封建制における藩と領民の関係には何の恩顧もないと思う。「脱藩」は容易に可能だが「逃散」は不可能に近いのではないか? ならば農奴制と呼びうる状況下での奴隷が、領主の「美学」のために命を奪われることに何の「正義」もあるはずがなかろう。

政治家は「美」ではなく「実」をとらねばならない。前にも書いたが、改革の理想を示した宰相は、どんなに薄汚くなってもその改革を余力を残さずに貫き、断頭台に立つか一兵卒に転落するまでその泥まみれの理想を現実化せねばならない。

「詩」へ飛躍するものはついに政治家ではあり得ない。




【日記】
この日は「勝海舟出世」を本牧でねた下ろしして、帰ってガンダム00を見てさんざん泣いた上で『峠』を読了するという内面的に多忙な一日だった。
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# by yoogy | 2009-01-12 09:30
今年からは、別のブログや別名で書いたブログもここに転載してゆきます

「幕末強化年間」を実行している。

河井継之助といえば、幕末通を自負するのなら細部まで知っていなければならない一人であろうが、実は興味がなかった。新しい時代を拓いたものは維新勢力であり、それを評価して受け入れた慶喜にも贔屓がある。だが、長岡藩の世界交代に果たした役割は末節のものに思えた。

話としても面白くない、出だしが。河井は学問を修めると称して江戸へ出たのに吉原で遊んでばかりいるし、何より「俺はこれでいいのだ」と自分の好きな数冊しか読まない。情報は知識であると同時に人格を形成する建材となるものだ、知識制限をした人間には魅力はない。

だが、司馬先生のことだこのままでは済まぬだろうと思っていたら案の定だ。上巻の途中で旅に出るあたりから引き込まれてゆく。例のごとくシンクロニシティで、その目的地が、昨年暮に自分が訪れたばかりの岡山県高梁である。やがて風雲急をつげて藩の要職につく頃には遊び人の継之助は完全に姿を消し、堂々たる武士の風体をあらわす。

そう、考えてみれば幕末に関わるいままで親しんできた連中は、龍馬は超然として宙にあり、維新勢力のほとんどは革命家であり、新撰組は武士足らんとする武士以外の者であり幕臣たちは敗者の役をふられている。諸藩にあってただ自己たらんとして、しかもその視野が時代の主役勢に及んでいるのはたとえば河井なのであろう。

痛快なのはこの河井に、剣の腕が「ない」ことで、売り物に花で幕末の連中は文官でも腕は立つはずが、命懸けで藩改革を行う河井にそれが「ない」。しかしその美学は最も決死の武士たるものである。敵に囲まれても


<<…その男が地を蹴った。しかし継之助は泰然と立っていた。抜きもせず、避けもせず、あごを心もち上にあげ、呼吸も乱さず、風の中で自然に吹かれていた。
(わが生命を)風が吹き通ってゆく。それが継之助の平素の工夫であり、生き方であり……風をしておのれの生命を吹き通らしめよ>>

禅であり陽明学である河井の真骨頂である。戦えば負ける、死ぬるがそんなことは自分の事業とは関係がない。このあたり「志士たるもの常に溝ガク(たぶんネット上では文字化けするので)にあるを忘れず」とわざわざ自分に言い聞かせる龍馬よりよほど境地が高い。

死地に向かう時にも己の肉体をみず生命だけが風に向かって歩いてゆく。
そこに独りよがりな「武士道」などという人工的な美学を用いず、マゾヒズムですらなくかつ自己陶酔でない使命感としてのプラグマティズムがある。ううむ、かっこいい。

ここまで読んで、いまこれを書いているこの部屋を「方谷庵」と命名。これは継之助の師匠、山田方谷(ほうこく)の家についての以下の記述から。


<<冬は十時に陽が出て、二時すぎにはもう沈みます>>


まだ中巻までしか読んでいない。が、こういう中途半端なところで感想文を書いてみるのも面白かろう。下巻に進めば大事なところを、「戊辰の戦でガトリング銃をブッ放した男」としての印象に忘れてしまうかも知れぬから。
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# by yoogy | 2009-01-10 23:25
今年は、この文章ブログを中心に・・・と言ってたのに、10日になるまで更新なしですみません。

あけましておめでとうございます。

寄席としては、今日の国立演芸場が初高座になってしまいました。

演目は『徳川3.5代将軍』ふだん、講釈場では「犬殿様」という演目でやっていますが、ネタだしするとネタばれになるので「3.5代将軍」で出しておきました。

うーん、麻生さんのモノマネ、いつもはもう少し上手くいくのだが・・・・・・完全にすべった。

社会派になるように、ちょっとセリフ変更。寄席では「野暮」にみえるくらいでないと講釈じゃねえ! の信念のもとに、です。

明日は本牧亭の初席です。
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# by yoogy | 2009-01-10 22:19

いまごろになって・・・

SNSに書いた日記を転載した(3/5~ )。

結局、三月は、ただ原稿を書いていただけだった。

勿論、だれも原稿料を払ってはくれない。

せめて、一週間前にアップしていれば、一人か二人の集客にはつながったかも知れない。


・・・・結局、自分はこういう人生を選んでしまったのだなと思いつつ。

ヘタすると、一回だけの、口演は、明後日。

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy
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# by yoogy | 2008-03-21 18:19 | 高座

執筆日(予備)


愚痴とかは省略。

どんな原稿の書き方をしているかというと、とにかく一時間ごとに原稿が増えている、一枚ずつでも書き進んでいるという状況を、物理的に、機械的に、形で踏みしめて行く感じ。昨日も書いた通り、形と心では形の方がはるかに制御がしやすい。「泣く場面で内面が作れない時にはとりあえず声に出して泣いてみろ」というのがスタニスラフスキーの教え。これは仏教、とりわけ禅宗における「行」の問題に密接に通じている。おっと、これは次の原稿だ。

だからこそ、書き進めて「違う」と感じるのが一番コワイのだが(スタートまで戻るとまるまる時間が無駄になる)。

今日はテレビにも万博のDVD以外は映さないつもり。

ところで、以前に「大阪万博はいまほど映像が使われていない」的なことを書いたが、これは間違いのようだ。なるほど映画には人間によるパフォーマンスが多く映されているが、これは各パビリオンの映像を二重写しにしても映像として質が落ちるだけだから極力避けていたから。一部では「映像の万博」ともいわれたようだ。つまり、本格的な情報社会・シミュレーション社会の到来を告げる頃でもあったようなのだ。

ただ、それだけに各パビリオンの個性的な建築は「夢の遊園地」であったに違いない。それも意味のある、意義のある「夢だけど夢じゃない」ようなものに子供には映っただろう。

『クレヨンしんちゃん モレーツ大人帝国の逆襲』も部分的に見直したが、この映画の影響をすり抜けるという課題は政治的な局面を持ち込むことだけでクリアしたことにしよう。万博ノスタルジーでこの作品を超えることは誰にもできないと思う。

さて、あと14時間で勝負。
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# by yoogy | 2008-03-16 18:15 | 高座

執筆日


昨日から高熱が出た。

体温計をさがす余裕もないくらいだったが、たぶん39~40度くらいではないだろうか。風邪かもしれないがほぼ原因不明。今日は「執筆日」と定めてあったから、体がそれを察知して拒否したのかもしれない。ことほどさように「執筆日」は苦しい。

元編集者ということを知ってかどうか、原稿はよく頼まれる。媒体に合わせて固くも柔らかくも、短くも長くも自在に書けるつもりである。だが多分、それは「これは余技である」ということの気楽さなのだろう。ただ、「アニメの本格的な評論」となると流石に気合が入る。いや、アニメだからではなく、長さだろう(数千字なんていうのもあったからなあ)。

講談の原稿の長さは、それに比べればさして長くはない。ペラにして80枚、いわゆる原稿用紙40枚程度。会話が多いので情報の密度も高くはないだろう。だが、やはりこれが一番苦しい。「執筆日」は「原稿だけ書いていればあとは何もしなくていい日」と定めてあるので何日も取るわけにはいかない。それが逆にプレッシャーになっている気がする。

熱は下がったが、まだ一行も書けてはいない。これから12時間の間にいちおうラストまで書かないといけない。

テーマは「万博」に決まっているワケだが、漠然としたイメージがあるだけで、骨子は書き始めてから固まるハズ。ハズなのだが・・・

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# by yoogy | 2008-03-15 18:15 | 高座

【執筆日記】表参道にて


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地下鉄から地上に出、静かな坂道下りながら小学校を左手に見て右手に曲がって左に曲がると、突然太陽の輝いている庭がある。それが「岡本太郎記念館」。かの天才の自宅アトリエの跡だという。

中に入ると実にシンプルで質素な家である。展示室らしきものもひとつふたつあるだけ、しかし、アトリエはまだ床に絵の具も乾かぬが如くに残され、創作するものの戦場の匂いがする。

なんとか出口を見いだしたくて太陽の塔のまわりをめぐり巡っている。

小松左京氏の『巨大プロジェクト動く』(廣済堂出版)を読むと官僚的な万博機構側と市井の学者・作家たちのスレ違いがよくわかり、結果として、岡本太郎を取り込むことができたのも小松氏の器量によるものだったことがよくわかる。(余談だが『日本沈没』の編集者は亡き二代目山陽のご次男である)。

『疾走する自画像』(みすず書房)の中には、岡本太郎が二代目山陽と同じく30歳を越えてから送られた中国戦線のことが書かれている。パリ留学から引き上げさせられ、地獄の新兵調練の中に叩き込まれた太郎氏は「上官のビンタは四人目が一番キツイ」ことを発見し「それなら俺がいつでも四番目に出てやる!」もちろん、その制裁は不条理そのもののリンチに過ぎないのだが、その暴力からも逃げない。常に「危険だと思われる選択」に自分を賭け続ける。本物の反骨精神。これが、ほとんどの前衛芸術家・作家が忌避した万博への参加を決意させたもののようだ。

芸術家にはなぜ反骨精神が必要なのだろう。それは権威というものが属性として秩序に向かうものであるのに対し、芸術とはその秩序から零れる、溢れるものを素材とするからに違いない。権威は時に政治であり、時にシステムであり、時に理性であり、時に調和でさえある。

正直、岡本太郎には主題というものがそんなに多いとは思えない(おいおい)だが、その少ない主題に全身全霊でぶつかっていく種類の芸術家ではないだろうか。そのうち美術館の方にも出かけて一日対話をしてみたいと思った。

そのあと、マイミクの発作まんじゅう氏と渋谷で食事。あの万博がいかに自分たちの世代に覆いかぶさっているかを話す。かくも記憶の中で理想化された万博。ともすれば浮薄な未来イメージの寄せ集めになりかねないあの万博に、太陽の塔は文鎮のように作用し君臨していた。

そろそろ、原稿を書くにあたって、水面から最深度のところまで達したように思う。さて、浮かび上がれるのか・・・。
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# by yoogy | 2008-03-13 18:13