講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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<   2011年 03月 ( 12 )   > この月の画像一覧

「説明してくれ」と言われると知らないことまで説明してしまうのが講釈師。
「いま、どんな状況なんだ?」。

「たとえばわれわれが山に登ったとしましょう。里からも離れ、頂上やロッジからも半日くらいはたっぷり離れたところで遭難した、と。その時、食料をまとめたリュックを谷底へ落としてしまった。これが建屋の爆発、まあことの始まりですね」

「その時、みんなが、『まあ、食料は全部落としちまったが、水は別にもってるから大丈夫』と安心して山を昇りつづけました」

「ところが、水を一人でまとめて持っていたクルーが心の中で『・・・どうしよう。実は水も落としちゃったんだよね・・・』」

一行は山登りを続けています。さて、このクルーが「実は水も落としちゃった」と告白するのはどんな条件がそろった時でしょう?

それは

1.山小屋にたどりつき、食料も水もたっぷり手に入った時「実は・・・」
2.いよいよ生命の危機が来て「おい、水を出せよ」といわれ「実は・・・」


私はね、いま「1.」だと思いたいのですよ。流山の浄水場で、隠していた(以外に考えられない)336ベクレルのヨウ素131を検出したことを、一週間もしてから発表した、という状況が。

いわゆる「悪材料出尽くし」というヤツです。株は底値となってますが、いまが買い時、の条件です。

まさか、よもや、「2.」ではありますまいて。

もうプルトニウムも出たし、とりあえずこれ以上悪くなることがあまり想像できない。いや、したくないだけか? でも、あの「大爆発」のあとの初めての雨でそんなもんなら、よも今後の大爆発のあるべくもなく、この身がウォーレン・パフェットならこの時点で買い戻しですね。ハイレバ禁止。オプション禁止。

もちろん、これから何カ月も何年も、冷却と廃炉のための努力は続くでしょう。でも、昨日今日あたりがピークと信じてます。

一カ月後、この日記を読んで「それみたことか」と言いたいがために。
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by yoogy | 2011-03-30 15:50 | 高座
明日あたりのニュースショーではトップにくるだろうか? こなかったらこなかったでそれもちょっと怖いが。

山岸涼子の「パエトーン」という漫画が料金フリーで公開されている。それを読むと「プルトニウム」の毒性が強いことで原発の恐怖が描かれている。いまの現実を見る前なら「杞憂杞憂」と一笑にふしてしまっていただろうが。

さて、明日「毒性の強さ」だけが強調されるとヘタするとパニックが起こるかも知れない。ただ、私のにわか勉強をするかぎり、私のネットリテラシーにおいて、いままでのヨウ素やセシウムのように、風に乗って何十キロも飛散するようなものではない。もちろん、検出された事実が示すところのものは大問題だが、それとて、一部では当初から予想されていたもので、いま騒ぎだすことではないのだ。

心配するのは、なんというか「物語的に」ハマッてしまうと群衆はまさしく核分裂のごとく連鎖反応を起こす。かつて地球温暖化が問題にされ始めた時、やたらと「洪水」のイメージが強調された。「南極の氷が溶ければ海面が数十メートル上がる」これを明確にイメージできる知性・感性のある人間はそのイメージだけで温暖化の恐怖を刷り込まれることになる。

お気づきだと思うが、この「イメージ」はあまり使われなくなった。温暖化問題の総本山のIPCCの報告書ですら否定されている。南極の平均気温はマイナス50度、もし南極の氷が全部溶ける時には人類は溺れる前に暑さで死滅している。

けれど「洪水」という神話的なイメージのもつ力は絶大で、いまでも温暖化の先に「洪水」を思い描く人はいるはずだ。

「プルトニウム」プルート、冥土の王。メイド喫茶の王ではない。この「イメージ」が先行するとヘタに知識のある人の方が率先してパニックを起こしかねない、そして、善意から人々に喧伝しかねないと思う。

もちろん、専門家でない自分が安全だと言う根拠は何もない。ただ自分は、イメージを「物語る」職業のものとして、プルトニウムの「神話作用」(ひさびさに記号論の用語を使ったな)に流されず、冷静にと呼びかけたい。

まあ、自分を知ってくれているであろう人の多い「日記」でしか書く自信はないのだけどね。

それにしても・・・それにしても・・・。早く「復興の物語」のページをめくらせてほしいものだ。


(MIXI日記より転載)
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by yoogy | 2011-03-29 15:48

私の涙は軽い

一日に2回くらいは泣く。物理的に涙が出る、という意味だが。もちろんアクビなどではなく、感情の高揚で。主因はテレビとネット。文章でも簡単に泣く。演出にもコロコロひっかかる。

震災以来、悲しみの表現も感動の表現もテレビには溢れ、批判すべき大安売りの現実の切り売りにもすぐに籠絡される。二時間もテレビを見ていると体内の電解質が不足してスポーツドリンクが必要になるくらいだ。

だから、そういう「意図的な」もので泣く場合は深い意味はない。

『もしどら』のみなみがドラッカーを読んで流す涙はそんな軽いものではない。(3/10の日記参照)。それは世界の深遠に触れた感動の涙であり、その場かぎりのものではない。

今日、ふと「意図されぬ」涙が出た。

「JR東日本は28日、運転を見合わせている東北新幹線を4月下旬に全線で運行を再開する見通しであると発表した」というニュースを耳にした時だった。

「そういや開通したばっかりだったな…」と思った瞬間だった。



・・・・ほんの三週間前のことだ。どれだけの人の手をもってこの青森まで開通したんだろう。そして、どれだけの人がよろこび、また、そこに乗るはずだったんだろう。当然、それを使うのは今回の地震で最も大きな被害を受けた地域の人々だったはずだ。


運転再開を喜ぶ涙ではないのだ。総延長674.9kmの、新幹線を一度は利用したであろう、これから利用するであったであろうすべての人々の、どれだけの日常が、どれだけのよろこびが、どれだけの笑顔が、このわずかの間に失われてしまったのだろう。存在したはずのどれほどの感情が、どれだけの涙が、流れることも知らず消えてしまったのだろう。






流れる涙の物理的現象は同じだ。化学的成分も変わりはあるまい。だがこれは、ドラマを見て流す涙とは、自分の中ではほんの少しちがう。



今日、はじめて、今回の震災を実感したということだ。
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by yoogy | 2011-03-28 15:46

金八先生ファイナル

「黒歴史」【くろれきし】忘れてしまいたい過去。例・私の卒論は金八先生でした。




いいわけをぶっておくと、『テレビドラマ論』で、実は金八先生で第一章を書いたあと、「これじゃいかん」と思い直して記号論(という学問が当時トレンドだった)を使った佐々木昭一郎や俺たちひょうきん族や「天下御免」論にした。だから卒論は金八論だけが独立している。てか、ただの感想文になっている。

いつもの「分析」は必要なかろう。一種の「世代ドラマ」であり、第二シリーズの「腐ったミカン」とかはほぼ「万博」並の共通体験であると思う。特に同世代の人間にとって、自分たちが身につけているのと同じ学生服の、ろくでもない日常を生きている人間にとって他人ごとではなかったから。

「荒れる学校」を経験しない人間にはした人間の生活はわからない。イジメを受けた人間の内面はそう簡単に想像できない。そういったことをそれなりのエンタテインメントを伴って垣間見せてくれるのが金八シリーズだった(のだろう。実は23年前の卒論の時点ですでに「古くなったドラマ」として論じていたくらいだから。シリーズでいえば1と2と5の一部しか見ていない)。

今日のラスト、一時間、ただ卒業生の名前を呼び、数秒の登場シーンを見せるだけで成り立ってしまったドラマに、この作品の価値があるのだろう。

自分も、教育実習に行った覚えがある。よく考えてみれば、大阪府の教員採用試験を受けたような記憶がある(本当に曖昧なのだが)。思えば覚悟もなしによくあんなことができたものだ。けれど、やはり時折、教師として過ごした自分の仮定法過去が浮かぶことがある。講釈師も「先生」と呼ばれてはしまうのだが。
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by yoogy | 2011-03-27 15:45 | レビュー
上野・本牧亭土曜講談会にて。

「どうもいけませんね、水まで安心に飲めないっていわれると不安になってしまいますね」
(α線、β線、γ線などをたとえ話で紹介して…)
「たとえば水に入ってると言われるヨウ素131は数値が210ベクレル、とかいうんですが、100ベクレルというのはこう(ゆっくりパンチを出す)いう感じ、200ベクレルはこういう感じ(倍のスピードで)300は…」
「でも、このパンチにもいろいろ種類がありまして…、これから受けるダメージがシーベルトなワケで、赤ちゃんなんかはこういうゆるいパンチでもダメージを受けるので、大人は大丈夫なわけで…」
(水を買い占めてますけど、40歳以上は安定ヨウ素剤すらもらえない、という話をして…)
「でもね、考えてみれば放射性物質なんてのは日常的にも身近にあるわけなんですね。たとえば、みなさんの飲んでるそのビール、その中にも含まれてるわけですよ。カリウム40という放射性物質が、5ベクレル入ってるワケです。で、その半減期はですね、ヨウ素131だと8日ですが、ビールのカリウム40の半減期はどのくらいだと思います?」
「まあ、ビールなんて半日もせずに酔いもさめちゃうくらいだからせいぜい一日? 二日? いえいえ、ビールの中に含まれてる放射性物質の半減期はですね………」








「じゅうにおく、ななせんななひゃくまんねん」「です」








ただ事実を言っただけなのに、これは受けた。

もちろん、これは当日お運びいただいたお客さまの不安を和らげるためのネタなわけですが、政府の発表を信じる限りはヘンに不安になっても仕方ないと思うわけです。原発は今日も四機とも元気に煙を吐いている。復興への希望どころか、現在の被災者への不安をも煽り続ける(いや、現実に「犠牲者」を生み出し続けている)この問題は徹底的に追求されるべきだと思っています。
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by yoogy | 2011-03-27 15:43

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/page030.html


なんかね、ダメですね。文章とか。

最近はこの日記に屁理屈ばっかり書いてるもんだから、どうもその、真情が伝わるような文章になってませんね。

まずはこの広報についてののご批判・ご意見をここに書いていただければありがたいです。文書やデザインも変えます。あと、メールがよくない。クリックひとつで送れるようにしいたんだけど、いまごろjavaでいいのかどうか。HTMLを手書きでメモ帳に書いてた時でスキルが止まってます><;。

何かしなきゃいけないんだけど、自分にできることは何だろう。考えてみましたがこれがいまのところベストのような。

現地に行かなきゃと思うんですよ。江頭2:50さんさえちゃんと行ってるのに(彼は長野のデモにも来ていたなあ)。

神戸の時の経験上、自分が現地に行った上での成果と天秤にかけて、今はこちらを選択しました。

来週からは計画停電がない日もほぼ完全節電にしてみようかな、とも。
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by yoogy | 2011-03-25 15:41
今日からは阪神・淡路大震災の時の経験を書こうと思ったが、東京はいまだ「発災中」のようだ。とても過去を振り返って未来を展望できるレベルではないようだ。なので日記。

今回のことは徹底的に検証されなくてはならない。政府の初動対応をどうだったか、安全性についての備えに不備はなかったか。コスト計算とともに検討し直さなくてはならないとともに、だいたい人命のかかった問題を単にコストとして処理していいかどうかも議論されなくてはならない。マイケル・サンデル氏の本ではないが答など出ない問題も常に論議される続けることでその平衡を保つことができる。

今を去ること四半世紀、エンターテインメント情報誌に就職して右も左もわからぬ時、古参の社員が大いに議論していた。チェルノブイリの問題を巻頭カラーで扱ってよいかどうか。エンターテインメント誌にふさわしくない、いや、これは重要な問題だ。自分はどちらかといえば「ふさわしくない」派だったがもちろん新入社員は口など挟まなかった。よもあの時は己が身にシーベルトとかベクレルとかいう怪獣が襲いかかってくるとは思わなかったが。まあ、いまでも意見自体は変わらないだろうが。

「大人は300ベクレルまで許容値」っていう条文が震災後に決定したという情報を目にしたが確認もせずスルーしてしまった。確かめてどうなる。そんな諦念が起こってしまう。国は国でパニックが起らないように努力してるんだろう。なんとも鎖国安定期の長かった「お上のやることに間違いはございますまいから」日本人的な発想だ。来月には崩壊する可能性の高かった内閣なのだがなあ。

情報が定まればやることも決まってくる。三鷹の水が96%以上金町浄水場のものではないと知った瞬間から米を炊く意欲もわいてくる。情報自体を疑いだしたらキリがない。だが、「地球温暖化、人為的CO2起源論」を疑って以来何もかも疑えば疑える気がしてきてしまう。「自由という刑」とツイートしたのはサルトルだったか。いったいどこで不自由(情報受容)と折り合いをつけるのか。

テレビでは「210ベクレルなら安心」と繰り返す。この情報も、明日310ベクレルをカウントしたらどうするのか。それとも今後この値が出ないことを見込んでの発表なのか。そうシナリオを書いて上演を始めた途端に一号炉のトラブルなのか。

けっきょくどこかで「騙すなら騙せ、おれは信じるよ」という地平を定めなくては何もできない。理想は「お上におまかせ」の発想から「お上」をも含んだネットによる情報共有の「集合的叡知」を存在させることだ。高いリテラシーと知性と感性が必要だ。

なんだ、やるべきことは決まってくるではないか。
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by yoogy | 2011-03-24 15:39
東京に帰ってきた。

母の治療のために一週間、兵庫県にいた、いちおう、予定を一日早めて戻ってきた。

午後9時に新宿の高速バスターミナルに着く。

「暗い」それが東京の第一印象だった。これが午後9時の東京なのか。

地震発生時には築地にいたし、それから数時間歩いて自宅に戻った。次の日も本牧亭のトリは決行したし、その次の日の早稲田の校友会のイベントは予定通りだった。その時には誰もまだ、いまの混乱を予想だにしていないように見えた。二次会の帰りにJRの駅員に聞いても「明日のダイヤについて変更の予定は何も聞いていません」という答えだった。

東京の「震災」はこのあと始まったのだ。iPadのおかげでわずか三時間で三鷹東京駅を経過して、そのあとは関西から「高みの見物」だった。

それでも兵庫県人は地震の痛みを知っている。すでに串カツ屋にすら募金箱が置かれている。「東京は大丈夫でしたか?」と聞かれるたびに「東京は、阪神大震災の時の大阪ですよ」と答えた。だが実際にはもう少し深刻だった。

ひとつ前の日記に書いたことは能天気だったかも知れない。だが基本は間違っていない。

「義務は受け入れる時は味方となる」(モンゴメリ)

電気を使って書くだけの意味があることを、明日からは書いてゆきたい。
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by yoogy | 2011-03-23 15:38
「日本の再出発の朝」になるのかもしれない。

断じて「暗い時代の幕開き」ではない。

11日、西武新宿駅に並んで電車にのる人々が、一糸乱れぬ整列をして、文句をいう者も一人としていなかった。あの「羊」たちはただの羊ではない。

ひとたび使命感に燃えると己を省みず公に奉仕することのできる羊だ。

そのことが自分や家族にとってもっとも良い結果をもたらすと信じる羊だ。

まず、困難な人々を助けよ、そして自らを助けよ。天は自ら助くるものを助く。

アラブの民衆の使った道具を、日本人は100倍も使いこなすことができる。

10年後の日本はきっとこの困難を、深い追悼と美しい朝の光の記憶とともに思い出すことができる。できますように。
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by yoogy | 2011-03-14 15:37
アニメ化記念(14日からNHK)

感動がよみがえってきたので、前にも書いたけど、また書く。

ネタバレではないが、核心部分。

「マネージャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネージャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始(ママ)めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである」(この部分、ドラッカーの『マネジメント』からの引用として出てくる)。

(↑(ママ)とは原文のまま引用しました、という意味。ダンウロード版。誤植が見逃せないのは一生治らない)。

このあと、主人公の女子高生は泣く。それもホロリ、ではない、嗚咽である。号泣といってもいい。

(ママ)の記号がさらに答えを見えにくくしている。絞りこもう。

「才能ではない。真摯さである」

人生を数十年生きてくると、この言葉の意味への感受性は鈍麻していく。ヘタをすると否定したくなってしまう。「ケッ、何いってんだ。才能がない人間がどんなにみじめな思いをするか知ってるのか? 女子高生じゃあるまいし、経営の神様もとんだ甘いちゃんだぜ!」と吐き捨ててしまった時、人は真に人生の坂を下り始める。おそらくは大して高くもないだろうその場所から、確実に。

本文に戻る。


みなみは、その部分を繰り返し読んだ。特に、最後のところをくり返し読んだ。
----才能ではない、真摯さである。
それから、ポツリと一言、こうつぶやいた。
「……真摯さって、なんだろう?」
ところが、その瞬間であった。突然、目から涙があふれ出してきた。
それで、みなみはびっくりさせられた。自分がなんで泣くのか。よく分からなかったからだ。しかし、涙は後から後からあふれてきた。それだけではなく、喉の奥からは嗚咽も込みあげてきた。


悲しさでなく口惜しさでなく、まして体のどこかが痛むのでなく、この涙の記憶があるものは幸である。前にも書いた「世界は君の手の中にある」と誰かに言われたことの感動。それが涙の正体である。

金融工学の批判的研究が止まっている。だが「経営学」には「工学」ほどの冷たさを感じない。むしろ封建時代の「武士道」に近いようなものではないかとこの本を読んでいると思えてくる。

現実的に書かれた理想ほどすばらしいものはない。その理想を忘れさえしなければ現実もまたその美しさを反映するはずである。スティーブ・ジョブズの人生をなぞっていてもそう感じる。

「だったらよう、その真摯さでメシくってみろよ。世の中はまず金、それがなければ才能と、コネと、運がすべてよ。その三つを補うのが努力ってヤツよ。ま、その努力の才能すら、おれにはないがな、ハハハハハハ」そう捨てぜりふを吐くもう一人の自分にこそこの本を繰り返し読ませたい気がした。

真摯さ、とは何か。
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by yoogy | 2011-03-10 15:35 | レビュー