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先日「執筆日記・1」を書いてアップしたはずなのだが、何故か消えている。まあ、ミクシィではよくあることだ。もちろん、アップしたつもりでクリックを間違えたのかもしれない。

5/30(土)の「講談革命ヨウジ!」実に半年ぶりであるのに、すでに三週間を切って二週間にならんとしているのに、いつものことながら坂の向こうが見えない。

『汗血千里駒』はなにしろ作者が龍馬存命の頃の江戸藩邸で生まれたくらいだから、さぞや新鮮な印象とともに明治文学らしい(というか江戸戯作文学を引きずった)冒険活劇なのだろうと勝手に想像していた。っていうか、一読してから講談にしようと思いたち、それから独演会のタイトルにしろよ、と思うのだが。

少女マンガ家の大島弓子先生に「タイトル先」という執筆方法がある。先生は自分のマンガの「内容が決まる前に」タイトルをつけてしまうのだそうだ。そしてそのタイトルに合ったマンガを描く。タイトルを説明するようなマンガを描くはずはないから上手くいけばそのギャップが実にいいのだそうだ。

凄くわかる。だから、自分が内容が決まる前に題材を決定してしまうのは自分なりの「タイトル先」なのだ。

だが、それは大島先生ほどの才能がある人のやるべきことだったのかもしれない。毎回毎回、ガマの油のごとく汗をかくことになってしまう。

なにしろチラシにも大々的に「日本初の講談化」と銘打ってしまった。ここまで書いて「えー、今日は汗血千里駒ではなく」はできないわけだ。

やっとのことで今行き着いている場所が「格差社会と龍馬」なんだが。

本当は映画『ハゲタカ』公開にあわせて「ハゲタカ」としての龍馬を描くのが面白い。だが、それは三年前の前作である「メッセージ・フォー・ホリエモン」と内容が重なりすぎる。あれから何本か短編を書いたが(龍馬の鐘、とか)やはり独演会でやる以上は堂々たる幕末絵巻の名シーンであるべきだ。

『汗血千里駒』は土佐出身の作者が、龍馬を自由民権運動の先鋒としてとらえ、話自体も龍馬の甥の坂本直寛をナポレオン三世にたとえて自由民権の闘士として描くことで終わっている(リョウマ・ザ・サードかよ!)。

あと二カ月ほどあれば、自由民権運動の歴史から勉強するところだがまさかそうもいかんし。と、いうことは…。

『汗血千里駒』はハッキリと土佐の上士と郷士の階級闘争を打ち出しているし、それを実質レボルシオンしたのは龍馬である。となると、どこを描くべきかといえば、やはり…。

あと半月、いや、最低でも一週間前には完成したいので、あと10日。あと10日で、歴女からニート・ヒッキーからもちろん龍馬ファンまで納得のお話を書くのか。




え? 誰が?




うおおおお。
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by yoogy | 2009-05-13 12:12 | 高座

ゲームって楽しいよね

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(株)ゼロページの寺崎さんの主催するゲームイベントに遊びに行った。

阿佐ヶ谷のロフトaには一度行ってみたかったのだが、丁度よい機会。遊びにと言っても楽屋から入るので入場料はモニョモニョでウーロン杯代を600円払っただけ。しかもちゃっかりチラシを折り込ませてもらう。

あーしかし、思えば、他のイベントにチラシ折り込ませてもらうのって久しぶり。いかに営業努力が足りなかったかよくわかるな。

で、いちおうゲストということでステージにも。格ゲーや落ちモノにはついていけないので、モデルプレイしたのがこのゲーム
http://sgrk.blog53.fc2.com/?no=1114

元(ドラクエの)チュンソフトの丸田氏が紹介しているゲームで、参加者がカードで「村人」と「狼」の役に分かれて誰が「狼」かを当ててゆくゲーム。

「タブラの狼」なんて言われても初耳なので説明書を読むと…私が人生で一番楽しかったゲームの記憶とほぼ同じ要領のゲームだった。

長くなるけど、それは学生時代、なぜか合気道サークルの「合宿」じゃなくてたぶん「遊びの旅行」に行った時、みんなでトランプを使ってやったゲームの発展形だったのだ。いや、そのゲームの解説はさすがに三行じゃムリか。

そしてロフトaでは、客席からも10人を募って公開プレイ。村人役として盛り上げたつもりだが…。何よりもやっていて楽しかった。

写真はその後のバックギャモンの時の様子。前からルールを知りたかったのだが残念ながら見てるだけではわからなかった。

再認識したのはゲームの楽しさだった。ゲームというのは実はすべて「ロールプレイング」に行き着くと思っている。将棋は将軍になるロールプレイ、すごろくは旅人になるロールプレイ、トランプは分析参謀になるロールプレイ。

それは、不自由な社会と肉体に運命的に埋め込まれた人間が自分が自由な存在であることを確認する行為である。

芸術は理性に開けられた窓なのだが、その意味ではゲームもまた芸術の一分野であることは間違いないだろう。問題はその麻薬的な常習性にあるのだが(特にお金がかかると時として不自由から別の不自由に移動するだけになってしまう。自戒自戒)。
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by yoogy | 2009-05-07 11:10

小田原北條五代祭り

今年も五月三日がやってきた。

もう12年めにもなるのか、北條五代祭りのオープニング講談。

出番はほんの少しなのだが、毎年楽しみにしている。

市民数千人が武者行列を組んでパレードで参加する、その根本の「物語」を語らせていただくのは身にあまる光栄・・・というより「講談」というもののもっている魅力の本質を体現できる気がするからだ。

かつてここでこのようなことがあった、自分たちは、その延長を生きている。そのことに誇りを持とう、その意味を未来に活かそう。そういう、ともすれば説教くさいテーマが、五月の陽光の下で語られると少しも窮屈なものに感じられない。

毎年、ここでの出来が、自分の語り部としての到達点をあらわしているような気がする。

もう10年も前に、歴史見聞館で耳にした「長宗我部元親」の名前。振り向くとそこにはガングロ・ギャルの姿が・・・あの時から今日の「歴女」ブームを私は予測していました。本当です。

自分達のルーツを「感じる」ことは、それを否定するにしろ肯定するにしろ、自分が社会的存在であること、歴史的存在であることの自覚をうながしてくれる。これは実に大きなことだと思う。素晴らしいことだ思う。



来年もお呼びがありますように。
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by yoogy | 2009-05-04 14:14 | 旅行