講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

来週の「仁~JIN~」はこうなりますから(物語の必然力)

映画監督になりたいという夢は小学生のうちに終わったが(チャップリンから始まってラルフ・ネルソンあたりで終わったかな?)、テレビドラマの演出家にはなりたいと思っていた。数々の大河ドラマ、『天下御免』『気になる嫁さん』『お荷物小荷物』『新十郎捕物帳』『タイム・トラベラー』『逃亡者』さらに『四季・ユートピアノ』そして『金八先生』ついでに『ピーマン白書』・・・。なんというか、映画よりもずっと「現実と地続き」な感じがするのが好きだった。

というより、フィクションとは知っていても意識の中でそれは現実だった。小学校の時は朝校門をに入る時、振り帰ってカメラを意識したし、小学生のうちに視聴者参加番組への出演も果たした(「鶴光のテレビテレビ」)。俳優になることを挫折して最初に目指したのは映画ではなく「テレビの」シナリオライターだったし、卒論もテレビドラマ論だった。就職もまさしくこのドラマを作っている局を受けた。受けたテレビ局はここだけだった。

その私が見る『仁~JIN~』の展開予想。すでに原作は大きく踏み出しているから、原作を読んでいても予想することは不可能。

あ、あくまでも来週を楽しみにしている人はここは読まない方がいいと思いますよ。あまりにも当たりすぎると思うので・・・。

龍馬「もし、わしが刺客に襲われていよいよ危ない、助けられん、と思うた時、 南方仁が近くにおったら、おまんがワシを切ってくれ」
東「・・・どういうことですか?」
龍馬「南方仁がおれば、坂本龍馬は死なん! もちろん、ちーとは手加減せにゃいかんぜよ」
東「もし、ホントに死んだらどうするんです」
龍馬「(ニヤリ)そん時は…おまんが兄上の仇討ちをし見事果たした!
ちゅうことでええじゃいか…天がわしを生かすつもりなら、わしゃきっと
生き残るぜよ」

あるいは恭太郎の頭を切ったのを助けたことを話しているかも知れない。そして、たぶん、坂本龍馬は生き残ると思う。これは史実どころか、原作とも違うラスト。

そう判断した理由は数々ある。

・龍馬が急に弱気になった。
「世界の海援隊でもやりますか」は司馬竜馬でも一番有名なセリフのひとつで、ここまでは「いかにも龍馬」だった。しかしその後「逃げ回るのはイヤじゃ」とか「(ピストルに)こんなもの」とか、およそ一般的な龍馬らしくなく、しかもこのドラマにおける龍馬ですらない言動に見える、これがいわゆる「フラグ」(蛮勇を見せればそれは死の、臆病さを見せればそれは生存の)。
・意図的な誤爆。これはドラマを見た人にしか説明できないが、味方である東が龍馬を切る演出は故意にしか見えない。その理由づけは上のものしか考えられない。純粋に「事故」であれば演出ミスとしか言いようがない。

これらはすべて、脚本家を含む作り手側の作品への愛情、世界市場へ向けたどちらかといえばハッピーエンドに近いエンディングへの意図である気がする。

ただし、そのために犠牲にしていることが多々ある。

幕府公儀が家臣の家族を人質に取るとか、「一日」の終わりを「九つ」と認識するとか(これは仁、咲はいいとして龍馬は有り得ない)およそ時代劇における文脈を無視せざるを得ない強引なドラマ作りである。にも関わらず成功する可能性は高いだろうから、来週も楽しく拝見させていただく。

世界は物語通りには進まない。

英雄は決して必要な時にはあらわれない。現れるのは独裁者だ。学生時代、自分の世界への疑問に答えるはずだったカール・ポランニーが最も恐れたのが独裁者(全体主義)でありそれはピーター・ドラッカーも実は同様だったようだ。先日書いた「自由」の問題ともつながるが、人は自由になるために独裁者を求めることがよくある。その結果はストーリーにできないほど散文的で悲惨な結末を招く。

現代の日本で起っていることもそうだ。必死に復興への物語を描こうとしてもそれは小さなエピソードにしか過ぎず、「ああ、こんな時に独裁者がいてくれたら」という願望は確実に育っている。そして、残念ながら、恐らく現実的にはその解決策が最も有効だ。

ブレヒトはこの矛盾を「コーカサスの白墨の輪」の中で見事に解決した。アツダックという独裁者は実は盗賊で、仮の身分ゆえに善を行い、仮の身分ゆえに体制が腐敗する前に自らその座を下りる。

人はそれでも、自分の知る「物語」にしか善悪の基準を求められない。法学も倫理学も、時には物理学すら無視して「物語」に従うという「自由」に突き進む。

だからこそ、良質なドラマには、史実や現実の法則ではなく「物語の法則」に乗っ取って問題を解決してほいし。もちろん、それが「期待を裏切るもの」であっては許されないし、現実の法則を超えたものであればあるほど、創作のハードルは高くそびえ立つことになる。

さて、『仁』というドラマはこの難所を超えることができるだろうか。

待て! 次号!
[PR]
by yoogy | 2011-06-13 17:05 | レビュー