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講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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自己定点観測。つまり日記。

今日からは阪神・淡路大震災の時の経験を書こうと思ったが、東京はいまだ「発災中」のようだ。とても過去を振り返って未来を展望できるレベルではないようだ。なので日記。

今回のことは徹底的に検証されなくてはならない。政府の初動対応をどうだったか、安全性についての備えに不備はなかったか。コスト計算とともに検討し直さなくてはならないとともに、だいたい人命のかかった問題を単にコストとして処理していいかどうかも議論されなくてはならない。マイケル・サンデル氏の本ではないが答など出ない問題も常に論議される続けることでその平衡を保つことができる。

今を去ること四半世紀、エンターテインメント情報誌に就職して右も左もわからぬ時、古参の社員が大いに議論していた。チェルノブイリの問題を巻頭カラーで扱ってよいかどうか。エンターテインメント誌にふさわしくない、いや、これは重要な問題だ。自分はどちらかといえば「ふさわしくない」派だったがもちろん新入社員は口など挟まなかった。よもあの時は己が身にシーベルトとかベクレルとかいう怪獣が襲いかかってくるとは思わなかったが。まあ、いまでも意見自体は変わらないだろうが。

「大人は300ベクレルまで許容値」っていう条文が震災後に決定したという情報を目にしたが確認もせずスルーしてしまった。確かめてどうなる。そんな諦念が起こってしまう。国は国でパニックが起らないように努力してるんだろう。なんとも鎖国安定期の長かった「お上のやることに間違いはございますまいから」日本人的な発想だ。来月には崩壊する可能性の高かった内閣なのだがなあ。

情報が定まればやることも決まってくる。三鷹の水が96%以上金町浄水場のものではないと知った瞬間から米を炊く意欲もわいてくる。情報自体を疑いだしたらキリがない。だが、「地球温暖化、人為的CO2起源論」を疑って以来何もかも疑えば疑える気がしてきてしまう。「自由という刑」とツイートしたのはサルトルだったか。いったいどこで不自由(情報受容)と折り合いをつけるのか。

テレビでは「210ベクレルなら安心」と繰り返す。この情報も、明日310ベクレルをカウントしたらどうするのか。それとも今後この値が出ないことを見込んでの発表なのか。そうシナリオを書いて上演を始めた途端に一号炉のトラブルなのか。

けっきょくどこかで「騙すなら騙せ、おれは信じるよ」という地平を定めなくては何もできない。理想は「お上におまかせ」の発想から「お上」をも含んだネットによる情報共有の「集合的叡知」を存在させることだ。高いリテラシーと知性と感性が必要だ。

なんだ、やるべきことは決まってくるではないか。
by yoogy | 2011-03-24 15:39