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講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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【感想文】『峠』下(司馬遼太郎)~神になる方法

「上・中」読了の段階で中途半端な感想文を書いたことには意味があった。あの時点が自分の河井に対する評価の最高の時点だったようだ。

さて、「引き」目的のタイトルを先に解決しておく。

「・・・読者やこの稿の筆者は後世にいる。後世にいるものの権能はちょうど神に近く・・・」(新潮文庫版258p)。河井継之助の「一藩独立」長岡藩を日本のスイスとして国内和平の要となるという理想がまさに実現しようとする大事な交渉を前にして、会津藩の窮地からの謀略(長岡藩が官軍に反攻したという偽装)を知らぬ河井と知る読者。そう、史実に基づいた歴史小説を読むことはまさしく自らを「神」とすることに他ならない。

これは「実録」を建前とする講談においても似た機能で、あらゆる災厄を事前に知りながらそれに翻弄される人間の行動や葛藤を見守るという自己同化はカタルシスを目的するとはいえ神のそれに近い。

そして重要に感じることは、どんなにその人物に同情しようが、「現実の神と同様に」その運命には一切の影響を与えることはできないことだ!

「上・中」を読んだ段階ではその命をも惜しまぬ精神的な猛勇に憧憬を抱いたほどだったが、最終段階での官軍との交渉の決裂におよんで、彼は理想を現実化する政治家から、前回に書いた「自己陶酔な人工的武士道」の徒に堕ちてしまう、と自分には読めた。

ついに開戦を決意する時の河井の内面
「この戦争の意義について考え続けた。-美にはなる」
司馬遼太郎を読んでいて、初めて反感を抱いたシークエンスがここから始まる。「力なき正義は無意味」と現実に必死に武力を蓄え続け、自国の存亡ひいては日本という連合国家(当時)の未来にまで道を示そうとした「現実的な政治家」河井継之助は



「詩へ飛躍した」(原文のママ)



かつて三島由紀夫が石原慎太郎に「政治家が夕日が綺麗だからといって移動中に車を止めて夕日を眺めるようではいけない」と忠告したそうだが、これは三島の肩を持ちたい。

河井継之助が「政治家」たることを捨てて一介のヘボ詩人になってしまったのだ。

小説では伏せられたていた(司馬先生はそれでも別の短編では明らかにしているが)墓にさえ憎悪を浴びせられた「失敗者」河井がここから始まる。

彼の理想が政治から文学に転ずるにあたり、領民の凄惨な死をもってその動力とした。孫の遺体を洗う老人の前でいかに悲嘆の涙にくれようが、それは感傷にすぎず、むしろその涙を免罪符にしようとする卑怯さがある。
この犠牲は「結果としての犠牲」ではない。河井ほどの脳力があれば、十二分に予想できた未来であり、それに涙することを「自作自演」と呼ぶことに大過はあるまい。

仮に司馬(今回呼び捨て)の書く、革命の横暴への歴史的批判を残すための方法であったとしても、最低限、自ら命令をくだしそれに「顔を見て」承服させる武士団の犠牲までしか持ち駒はなかったと思う。本来封建制における藩と領民の関係には何の恩顧もないと思う。「脱藩」は容易に可能だが「逃散」は不可能に近いのではないか? ならば農奴制と呼びうる状況下での奴隷が、領主の「美学」のために命を奪われることに何の「正義」もあるはずがなかろう。

政治家は「美」ではなく「実」をとらねばならない。前にも書いたが、改革の理想を示した宰相は、どんなに薄汚くなってもその改革を余力を残さずに貫き、断頭台に立つか一兵卒に転落するまでその泥まみれの理想を現実化せねばならない。

「詩」へ飛躍するものはついに政治家ではあり得ない。




【日記】
この日は「勝海舟出世」を本牧でねた下ろしして、帰ってガンダム00を見てさんざん泣いた上で『峠』を読了するという内面的に多忙な一日だった。
by yoogy | 2009-01-12 09:30