講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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そんなわけで、チラシができました。
http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/
実は演目は最後まで悩んでたんですが、昨日、東京かわら版の情報締め切りが8日だったことを知って急遽決めた訳です。こうなったら「大隈重信漬け」の後は「宇宙漬け」でいこうかと。また「一年遅い」感じですね。でも、坂本龍馬は「一年早くから」準備してて結局儲かりませんでしたから、もうどうでもいいです。

「宇宙」案外というか当然、現代の閉塞状況を解くカギのひとつとしてあっていいんじゃないかと思っています。それについての自信の根拠が30年以上前に読んでいまでも暗記しているこの一節です。

「宇宙開発に使う金があるなら、もっと福祉など役に立つことに使えという人々の意見を聞くと、どうしても私は腹を立ててしまうのだった」
(A・ペリー『一万年後』より、うろ覚え)。

スキャンダラス嗜好の強いカッパブックスの本でしたし、科学的な根拠がどれほどあったかこれから読み返すことになりそうですが、この本は間違いなく一人の少年の絶望を救いました。

『ノストラダムスの大予言』は1973年、そりゃ今にして思えば笑い話だろうけど、小学生にのしかかった未来への絶望は、同級生にオウムに上祐史浩を出すほどの現実力をもっていた。そこへ現れたのが75年の『一万年後』だった。それは曇り空の上に広がる蒼天をありありとイメージさせてくれるものだった。

宇宙開発は何もテラフォーミングして移住計画をというような「壮大な夢」だけではない、無重力や完全な真空を安価に手に入れられる宇宙ステーションが出来るだけでも膨大な科学技術の発展が見込まれる、そのもたらす恩恵はもちろん医学など日常の「役に立つ」もので満載だ…というのも35年前に読んだ通りの記憶でしかないが。

「敵」を想定したもとにみんなが危機感をもって「団結」を促されるより、同じ坂の上の雲をみてみんなが希望を持って進む方がよいに決まっている。それは国単位でしかり、地球単位でしかり。「温暖化」や「仮想(じゃないと思うけど)敵国」に基づかないでドーンと夢をブチあげる。小学生の時に持てた夢が今も夢足りうるか、そういうことを考えながら「はやぶさ」講談のバージョンアップをはかってみたい。

まあ、自分もホリエモンや孫正義と同じ種類の人間なんでしょうね。収入は一億倍ほどちがうけど(泣。







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by yoogy | 2010-12-11 14:37

【ネタ帳】「外郎.売」

あまりにもブログの更新が少ないので、その日の「ネタ帳」として、高座でかけたものやケイコしたものについてつらつらと。

まずは「外郎売」。これはこうだっとしてのネタがあるわけではなく、もちろん、歌舞伎十八番の中に出てくる有名な場面。俳優やアナウンサーの基礎訓練としても多く用いられています。

小学生の時から演劇部だった自分としては(中学にはなかったけど)ほぼ頭に入ってますが、最後までスラスラ出てくるかというと自信がない。講釈師になってからは「鉢の木」という神田派のテキストがあるのでそればかりやっていましたが、講談を含む喋り一般にはこちらも重要。そして、声優の柴田秀勝さんが若い時にこれだけをやらされた話を聞いて、以来毎日欠かさないようにしています。

某大学の演劇サークルでしぼられた時、「武具馬具武具馬具三武具馬具」がどうしても言えなくて怒鳴られたので、いまでもやるたびトラウマが・・・。

まあ、こんな感じで一言だけでも書くように心がけてゆきます。
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by yoogy | 2010-08-25 22:11

お台場の海で講談

3月6日の独演会はおかげさまで大入りのうちに終了いたしました。ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。

どうも日記が遅い。

次の日、
しながわ観光協会のご縁で、品川から出る「講談舟」。なんとお台場の海で一席という催しがあった。

「お台場」は本来「御台場」で、ご存じの通りペリーが来航してから、幕府が慌てて作ったもの。江川太郎左衛門の尽力で、ペリー再来航までには部分的に出来上がった。残念ながら11基の計画は完成せず、すぐに日本にも軍艦の時代がきて無用の長物に堕してしまう。かつ、会津藩士がその警備の中で焼け死ぬなど、動乱期の日本を象徴する建造物なのだが、いまやフジテレビの異称でしかなくなっている。

1、2、3台場を作り、その間隙を埋めるように4、5、6と作っていった。必ずネタにする「なぜ今残っている台場は第三と第六という組み合わせなのでしょうか?」という答えは「三と六が隣り合う配置だったから」だ。お台場にかかわる人の何パーセントがこの問いに答えられるか片っ端から聞いてみたくなったりする。

その後、すぐに「幕府軍艦操練所」が築地に作られ、御台場の防衛力を補うことに尽力したのが、操練所頭取の勝海舟、ということになる。

まあなんと、この「講談舟」には勝先生の玄孫が同乗していたのだ!

そんなことも知らず、決め打ちのネタは「坂本龍馬と勝海舟の出会い」だった。高山みな子さん(写真)
http://www.katsukaishu.jp/
の前でまあ堂々と「オイラ勝ってんだ!」なんてセリフを吐くのは冷や汗ものだが、なんとかやり終えました。

去年は龍馬のご子孫、このたびは勝先生の(うう、先生、としか呼べない)ご子孫の前でそれぞれのご先祖の講談をやったことになる。まったく恐れを知らぬということは恐ろしい。

屋形舟はやがて品川へ戻ってきた。

今日もまた、一番楽しんだのは演者自身かも知れなかった。


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by yoogy | 2010-03-13 07:03
『高畑勲アニメ作品に挑む講談&浪曲の会』、無事終了!

今日は芸の話は自分の内容の話は置いといて、その前後の話を。



7日朝、ケイコを終えて武蔵野芸術劇場へ。駅をへだてて南と北なので緊張感を高めるヒマがない。舞台では玉川奈々福さんが通しでケイコ中。当日に舞台(高座)で通しをやらないのはついスタッフに遠慮してしまうため。まあ、朝から二回さらったし。

出囃子(「ケーナを吹く少年」パプロのテーマともいう)と照明のキッカケを決めて、楽屋に戻るとですね。そこにいらっしゃったのですよ。高畑監督が。いや、ふつうに長机にそこらの椅子に座ってるのが不思議。というかこれから舞台で共演するという事実をこの時初めて実感した。気がつくと司会者は自分だ。仕事しなくては、仕事。

本当は顔合わせに事前に会うはずだったのにご多忙のためこれが初見。打合せをしなくては「エート(ふだんよりオクターブ高い声で)デワ、マズハヒトリヅツノコウヒョウカラデスネ・・・」主催者が「あんまりはっきり決めない方が鼎談としては面白いですよ」いや、決めとかないと収拾がつかなくなるに決まってる。というか、司会者が収拾つかなくするに決まってるから。

簡単な打合せのあと、奈々福さんが着替えに入り、主催者もいなくなったので、いまやテーブルについてのるは監督(と奥さま?)と自分のみ。ここでサインをお願いするワケにはいかないし、こういう時はどうするんだっけ? 司会者としては、相手とラポールを作っておく必要がある。そう、仕事、仕事に集中するんだ。しかし、ここでオタク丸出しの反応をしては鼎談にも差し障るし・・・。

「このあと落語の独演会においでだそうで」と、いかにも芸人が興味を持ってる話題を「装って」話はじめる。「ええ、ジブリ美術館でも時々やってもらってるので」(「私もやらせてください!」などという「野望」は頭をかすめもしない)「『柳川掘割物語』は「全国の行政マン必見」と池沢先生も言っておられましたね」と、いかにも昨日著作を読んで覚えたような質問を。これでも鼎談の時には話題にのぼらないような話を選んだんですが。ここで盛り上がってしまうと鼎談で使えなくなるので。

まあもう、とにかく、想像以上に「よい方」で。芸術家の気難しさもなく、気分屋的な雰囲気もない。もう、こっちが何をいわなくても察してくださる。何よりもも終始笑顔。たぶん、芸人の自分より笑顔が、いい。

「三重ご出身だそうで」いかにも昨日ウィキペディアで覚えたような話題をふり、「マルコを作った頃の時代背景は…確か毛沢東が死んだ年で」あああ、もう、なんでもウィキ頼みだ。

「あ、私タバコのみなもんで、ちょっと失礼」「いや、ここでどうぞ、おーい、灰皿を」と奈々福さん側の若手さんに頼んでしまう。が、ない。ので席を立たれてた。「では、後ほどよろしくお願いいたします」。

客観的に見て「質問に閉口して席をたった」とは思わないが、だいたいから「客観的」なんて気分じゃないし。

自分の芸のことはほぼ完全に忘れて高座前のひととき。



そして、高座後半の鼎談。さすがに高座上での緊張はさっきのものとは別種のもので(七福さんをはさんで監督と距離があったのが幸いした)あまりに(二人とも)誉めてくださるので、「いや、こんなところは悪かったでしょう」「ここに無理がありましたよね?」という質問をする訳にもいかず、講評はわりと簡単に終了。ただ、「僕には面白く感じられるのはあたり前なので」とさすがに映画監督らしい「客観性」というものを常に意識に置かれている感じだけは伝わりました。

それからあとは、時間配分や質問配分など、全体の方に気がまわって自分の質問ができない。マニアックな質問を入れてみたけど当然反応は薄く、まあそれを笑ってもらうのが目的だったからいいとして…あーそうか、「三千里」は脚本には名前を連ねてなかったからなあ、残念。「アン」とかの話だったら「神は天にいましすべて世はこともなし」の訳の話とかいろいろ聞けたのに。

最後に質問コーナー。二人目の質問者からは映画やアニメではなく、なんだか人生相談のような質問が続出。

司会者としては「新作について」とかいわなきゃいけなかったのかも知れないが、あまりに高畑監督のお答えが見事なのでその流れでいく。そういえば、自分も30年前、宮崎監督にこのテの質問したんだよなあ。そうだろう、そうだろう、聞きたいだろう。司会者としてはマズかったか。作品についても質問があったが、漠然とした質問にも的確に答えてくださる。この頭の回転の速さは、20年前に板東玉三郎さんをインタビューした時以来じゃないかな、とか思ってました。

最後に告知コーナーは定番だが、自分の国立演芸場とかは完全に頭から飛んでて(トリじゃねーし)、拍手の中、夢のように終了した。


てーーーーっきり楽屋に戻られると思ったのに、ワキから退場されたので、「あー、サインもらえなかった」とがっかり。しかし、楽屋に戻ってアンのセルを見ると「こんな機会は二度とあるものか」、おっかけてゆくと、まだ出口でファンに取り囲まれていた。

で、芸人にあるまじきことか、お客様を押し退けて(いや、押してはいないけど)、頂戴したのがこのサイン。

なにしろあれだけよい方なので、文言の方は「あなたは講談やられる方なんですね」という認識程度に受け取ることにするけれど、これでこのセルは「オレが死んだら柩に入れて焼いてくれ」とは言えなくなったな。高畑勲記念館とか、日本アニメ記念館に寄付するしかないよね。ああ、娘ができたら譲る予定だったのに(息子には自主的にアンにはまれとは言わないが)。

芸について振り返るのはもっと後がいいかな。ググルと感想が散見されるみたいだし。

とにかく、夢のような出来事で、この後酒を飲んで余韻にひたって夢を見ることもできず徹夜で原稿書いて飛行機に乗って仕事行ったのが悔やまれるけど、いやいや、起きて見る夢だったような気もしますわいな。

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/5takahata.htm(私の高畑勲論)


(セルにビニールがかかってるのは、30年前から。それを破ってのサインでありんした)(この場面のセルの価値、ファンの方はわかってください)。


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著作権的に問題のある場合はご連絡ください。すぐに削除いたします。
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by yoogy | 2009-11-09 23:24 | 高座

坂本龍馬の年に向けて

とりあえず最初の大ブロシキを広げてみた。

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy

おっそろしいなあ。
「マニア」のいる世界で「俺の方がマニアだ」宣言をしたらどんなことになるか。たとえば「ガンダムに一番詳しいのは俺だ!」と宣言したら、途端に「それ以上のマニア」が数万人は押し寄せてくるのではと…。

「歴史マニア」の世界がアニメマニアとどのくらい共通するか、それすら見えてはいないというのに。

たとえば「脱・竜馬がゆく」という有名な(? 自分の中では)サイトがある。ここの「龍馬クイズ」はABCランクに分かれていて、Aランクこそ全問正解できるがBになると三問は落とす、Cともなれば、20問中5問間違ってゲームオーバーである。

まあ、龍馬のファンは好戦的な人は少ないとは思うのだが、それでも、来年に向けて「龍馬」を全面に出してゆくことは大変なことだ。

しかし、この荷は背負わぬわけにはゆかない。

そのことを確信したのは、来年の『龍馬伝』の演出は一昨年『ハゲタカ』を演出した大友啓史氏であることだ。『ハゲタカ』は外資ファンドの日本人マネージャーを主人公として、金と人間のかかわり、いや、日本の「第三の開国」を描いた秀逸なドラマで自分の中ではここ数年のベストワンに選んでもいいほどの作品だ。来年の大河は福山雅治の力なしでも大ヒットは確実だろう。あと、脚本家は自分と同年齢、一年かかって勝負をしてみるのも面白い。

何にせよ、よほどのことがない限り来年は「龍馬の年」になる。ここで気合を入れずにいつ入れるというのか。

「日本幕末化計画」とは、自分のブログのタイトルである。

しかし、現実には「幕末」なぞ来ない方がよいに決まっている。特に明治期の混乱の大きさを思うにつけ、変革はゆるやかに超したことはなく、そのスピードが激しければ激しいほど反動も含めて、時代は津波のように無慈悲に被害者を生んでゆく。

これが二年前、サププライムローン問題の前ならば「それでも日本は金融開国を達成するしかない」と主張できたのだが、意外と世界は柔軟だった。「金融工学」は蒸気機関のほどの「必然力」を持つものではなく、世界はこれをコントロールし得るのかも、するしかないのかも、と一息ついているのが今の状況だ。

しかし、システムが停止した訳ではない。一夜にして国家、いや、国家群を破綻させてしまうほどの荒い波が何を契機にまた起こるとも知れないのである。

そう、「日本が開国」することが問題ではなく「日本を含めた」世界が変わらなければならない。

すぐ前に「ガンダム00」の「人は変わらなければならない」とする結論を「単に人類の<来世>に期待する思考停止」とバッサリ斬ったばかりだが、「変えていかなくてはならない」と能動形にする限りは称賛していたはずだ。

こうなってくると「幕末」を現代と比べる中でキーとなり得るのはやはり「理想としての」龍馬だけと言えなくもない、「理想としての」。

司馬先生のセリフだが「現代において地球人類のことだけを考えていると言えばどうしても嘘がまじる。だが彼は当時において日本全体を考え得た」と「理想としての」龍馬を見ていた。

それができるか? その観念に達することが? というチャレンジをこれから一年かけてするのである。





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by yoogy | 2009-04-14 22:14
今年は、この文章ブログを中心に・・・と言ってたのに、10日になるまで更新なしですみません。

あけましておめでとうございます。

寄席としては、今日の国立演芸場が初高座になってしまいました。

演目は『徳川3.5代将軍』ふだん、講釈場では「犬殿様」という演目でやっていますが、ネタだしするとネタばれになるので「3.5代将軍」で出しておきました。

うーん、麻生さんのモノマネ、いつもはもう少し上手くいくのだが・・・・・・完全にすべった。

社会派になるように、ちょっとセリフ変更。寄席では「野暮」にみえるくらいでないと講釈じゃねえ! の信念のもとに、です。

明日は本牧亭の初席です。
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by yoogy | 2009-01-10 22:19

いまごろになって・・・

SNSに書いた日記を転載した(3/5~ )。

結局、三月は、ただ原稿を書いていただけだった。

勿論、だれも原稿料を払ってはくれない。

せめて、一週間前にアップしていれば、一人か二人の集客にはつながったかも知れない。


・・・・結局、自分はこういう人生を選んでしまったのだなと思いつつ。

ヘタすると、一回だけの、口演は、明後日。

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy
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by yoogy | 2008-03-21 18:19 | 高座

【執筆日記】表参道にて


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地下鉄から地上に出、静かな坂道下りながら小学校を左手に見て右手に曲がって左に曲がると、突然太陽の輝いている庭がある。それが「岡本太郎記念館」。かの天才の自宅アトリエの跡だという。

中に入ると実にシンプルで質素な家である。展示室らしきものもひとつふたつあるだけ、しかし、アトリエはまだ床に絵の具も乾かぬが如くに残され、創作するものの戦場の匂いがする。

なんとか出口を見いだしたくて太陽の塔のまわりをめぐり巡っている。

小松左京氏の『巨大プロジェクト動く』(廣済堂出版)を読むと官僚的な万博機構側と市井の学者・作家たちのスレ違いがよくわかり、結果として、岡本太郎を取り込むことができたのも小松氏の器量によるものだったことがよくわかる。(余談だが『日本沈没』の編集者は亡き二代目山陽のご次男である)。

『疾走する自画像』(みすず書房)の中には、岡本太郎が二代目山陽と同じく30歳を越えてから送られた中国戦線のことが書かれている。パリ留学から引き上げさせられ、地獄の新兵調練の中に叩き込まれた太郎氏は「上官のビンタは四人目が一番キツイ」ことを発見し「それなら俺がいつでも四番目に出てやる!」もちろん、その制裁は不条理そのもののリンチに過ぎないのだが、その暴力からも逃げない。常に「危険だと思われる選択」に自分を賭け続ける。本物の反骨精神。これが、ほとんどの前衛芸術家・作家が忌避した万博への参加を決意させたもののようだ。

芸術家にはなぜ反骨精神が必要なのだろう。それは権威というものが属性として秩序に向かうものであるのに対し、芸術とはその秩序から零れる、溢れるものを素材とするからに違いない。権威は時に政治であり、時にシステムであり、時に理性であり、時に調和でさえある。

正直、岡本太郎には主題というものがそんなに多いとは思えない(おいおい)だが、その少ない主題に全身全霊でぶつかっていく種類の芸術家ではないだろうか。そのうち美術館の方にも出かけて一日対話をしてみたいと思った。

そのあと、マイミクの発作まんじゅう氏と渋谷で食事。あの万博がいかに自分たちの世代に覆いかぶさっているかを話す。かくも記憶の中で理想化された万博。ともすれば浮薄な未来イメージの寄せ集めになりかねないあの万博に、太陽の塔は文鎮のように作用し君臨していた。

そろそろ、原稿を書くにあたって、水面から最深度のところまで達したように思う。さて、浮かび上がれるのか・・・。
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by yoogy | 2008-03-13 18:13

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昨日までは「明日やれといわれてもアドリブでできる」自信があった。だが、いまはムリだ。もうアドリブでできる範囲では終われなくなった気がしている。

ケンタッキー・フライドチキンが日本に登場したのが万博だという。そこで夕方には歌舞伎町店でその気になって2ピース食べてみた。わからないな。帰りの駅では自動販売機でヤクルト二本80円を飲んでみた。蘇らない。あの頃の記憶が。

そういえば…。なにかと兄に対抗して好みを決めていたなあ。自分は「森永マミー派」兄はヤクルト派。兄・ソニー派、自分・ナショナル派。自分、味噌汁にはワカメ派、兄、タマネギ派。だが、どれもこれも、自分の支持するのとは違う方が隣の芝生なのか青く見えたものだ。実際、いまもワカメよりはタマネギの味噌汁の方が美味しいと思う。それはインスタントで売っていないという事情にもよるかも知れぬが。

こうかくと兄に尊敬ゆえの対抗意識を燃やしているようだが、正確な記憶というのは時に残酷なもので、5歳6学年も離れた兄のグループにただ一人くっついて遊んでいた幼児の陽司は、そのグループの中でプロレス技をかけられてイジメられても兄に助けられた記憶がない。考えれば未就学児をイジメる小学生男子の集団も最低なのだが、どういうわけかそこから離れたいと思った覚えもない。まあたぶん、動物のように群れについていっていただけなのだろう。それを「皆を慕っていた」と解釈するのが人生を楽に生きるコツというものだ。

それが60年代の記憶。一体万博の話にどうつなげられるんだ?

あっ! ヤフオクに出てた「太陽の塔」は?

あー、もう落札されてるうううう。

まあ、いいや。記念館か美術館には足をはこぶつもりにしているから。

依然として、岡本太郎に、何かのヒントを感じている。
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by yoogy | 2008-03-10 18:11 | 高座

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届いた。マジで24時間以内に届いた。前にマウス買った時も使ったけど、24時間以内って便利さのレベルが違う感じ。

で、いま視聴してるんだけど(ながらで)。頭の中を大阪万博一色にしなきゃいけない時期に『ワンピース』の新刊出ちゃうし、ガンダム00面白れーし。困った。

図書館から借りてきた資料は8.2キロに及ぶ。全部読んでも原稿が書けるかどうかはわからないのに、全部に目を通さなきゃ満足なものが書けない気がしてしまう。

だけど、今大事なのたぶん、資料じゃなくて自分の記憶の方に違いない。
地図にしてみれば10キロほど、生れ育った家からその気にさえなれば小学生でも歩いていけた距離の場所での万博。だが、その記憶はあまりに遠い。月の石と、住友童話館のイベントの歯車型のスポンジと、万博の最後の日に問い合わせの電話をして泣きながら「次はいつですか?」と聞いたこと・・・。だが、その「次」にもっとも近い愛知万博には行こうともしなかった(かろうじてつくば科学万博には行った)。

資料を調べてもそのまま話にできるものがあるとは限らない。たとえば科学技術庁と通産省が「自動翻訳機を置くかどうか」でケンカ別れをしたとか。15年後のつくば博での思い出が「自動翻訳機」のまるで役に立たないことだけであることを考えると見送って正解だったね、通産省さん。

いま、DVDには昭和天皇のお姿が。不思議だなあ。「天皇陛下」というとこのお顔だったのにね。すっかり今上天皇にも馴れてしまっている。

あの桜のマークも、一旦好評したものを取り下げて決め直したものだとか。おお、画面には「佐藤総理」。うん、子供心にも「総理大臣」ってこの顔だった。長かったし。でも、この人の場合、後継者が個性強くて忘れちゃったなあ。

なにしろ「所得倍増計画」が成功してすぐだ。収入が二倍になった直後のニッポン。そりゃあ楽しい雰囲気が支配していたさね。


1970年。「佳子の夢は夜ひらく」「走れコータロー」ディスカバージャパン、あしたのジョー、タクシー130円、カレーライス150円、国立大学授業料一万二千円/年。

だが、そこに原稿のネタはない。
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by yoogy | 2008-03-08 18:16