講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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ホリエモンとのかかわりは、もう数年になるのか。独演会の入場料をライブドアの株価にしたり、裁判を傍聴に行ったり。自分は「ホリエモン信者」ではない。むしろ被害者である。それでもこの本は誤解を恐れずレビューを書く気にさせるものだった。

(※SNS mixi日記より転載)


【書評】と銘打ったからには本気で書く。このあいだ、飲み屋でホリエモンと坂本龍馬の共通点について語っていたら殴られかけた。だが、昨日『ラ・マンチャの男』を見直した自分には恐れるものなどありはしない。

初めに。太ったなホリエモン。留置所から出てきた時はあんなにスラッとしてたのに。太るのは悪いことではないがBMIは正常値に保て。君は長生きをしなくてはならない。

1章・日本は幸福な国なのか/もちろんそうでしょ。水道水がナマで飲める希有な国。誰でもインターネットが使える世界一恵まれた国。
2章・貯金と借金/35年間、同じ会社に勤めて、給料が上がり続けるなんて虚構ですよ。年収300万の人が50万コツコツ貯めたって無駄です。
3章・マネーと教育/貯金を美徳だって信じてはいけません。でないと悪い人に騙されるだけです。
4章・ルールの運用は恣意的に行われる/後期高齢者医療制度って当たり前のことに思うんですけどね。年寄りばかりが選挙に行くから止めちゃったね。
5章・いつだって先行きは不安/内定取り消しとかに文句言ってるヒマがあったら、もっと前向きに生きればいいのに。

以上は「俗情と結託して」この本の内容をまとめたものである。これがわれわれの知っている「ホリエモン」の正体だ。人の心の綾や機微を分かろうともせず、金だけで世の中を割り切って、平然と従来の道徳を否定して自分の成功だけを考える、傲慢で独りよがりで能天気な「ホリエモン」である。

だが、こうしてまとめたものを信用せず、本書を読んでみれば誰もが驚くであろう。この本のテーマは「若者よ夢を持て」ということなのだから。

P143「だから誰だって、別にアキバ事件の彼だってやれたと思いますよ。会社やろうと思ったら。全然、全然やれたんじゃないですか」「全然」という副詞の使い方が間違っている。かつ不必要に重複している。この本はインタビューなので、彼が語ったまま文章を起こしたものだろう。彼の「涙」をここに見るとしたら、それは針小棒大なロマンチシズムだろうか。

本書の副題は「僕はお金の正体がわかった」となっている。元祖の資本論が「貨幣」というものの正体から労働価値と社会構造に迫ろうとしたものだからその志は同じである。ところが元祖は世界中の人間が脂汗をかいても全巻読めないシロモノで、こちらは一時間もあれば読めてしまう。

彼はいう「お金とは信用を数値化したものだ」。「信用経済」という用語を知っていれば何をいまさらと思われるだろうが、「お金」については人が檻から放たれた虎を冷静に見ることができないように客観視することの難しいものだ。「金の亡者」ホリエモンには金の本質など語れようはずもない。だが「信用」とは「自分で作り出すことのできるものだ」と展開させる時、「お金」のもっていた絶対的地位がやすやすと階段を下りてくるのを感じることができる。

お金のないものに「お金を作ることなんて簡単だ」と「あの」ホリエモンが言っても説得力があるはずがない。「お前は犯罪者だろう」「たまたま運が良かったんだろう」「才能がある奴には何とでも言える」後ろに行くほど金の絶対的地位は下がるわけだが…「信用」を作ることなら、誰にでもできるだろう。それは人との関係の中で作られる。もちろんネットを通じてだってかまわない。「たとえば旅行をしたい時、お金があれば簡単だけど、お金がなければヒッチハイクをすればいい。僕はさんざんやりました」ヒッチハイクは「犯罪」でもなければ「強運の持ち主」でなくてもできる。ましてやまさか「才能」は必要ない。ただ人とのコミュニケーション能力があれば…それだって、ヒッチハイクをしながら身につけていけばいいことだ。

つまり、「お金」とはそういう「信用創造」の延長にあるものだ、というのだ。「能力があれば」ともちがう「コネがあれば」というほど卑しくない。そして「信用」こそが「お金」の本質であるということは難しい理屈でもない。

『ハゲタカ』というドラマの中で老職人がつぶやく「金なんて…紙きれじゃないか…ただの紙きれだよ」職人が「ホンモノ」であるから言える強がりでも妬みでもない一言。その「紙きれ」のために人は血と汗を流す、時には他人のものまでも…。それは「紙きれ」が「絶大な信用」を纏っているからだ。紙幣は国家の、通帳の数字は銀行の、ネットのトレードは各取引業者の。「お金はもともとバーチャルなものだ」それを実践において理解することは、「虎は猫と同じだ」と虎の喉をなでてゴロゴロ鳴らすよりも難しい。だが、観念において理解することは誰にでもできる。

前回の『徹底抗戦』を読んだ時、ホリエモンは実は「金に執着が薄いのではないか」と思ったが、今回その思いを強くした。彼は本の中でも書いている通り本当に「月10万円で暮らす」ことに「恐れ」も何も感じていない。遠い昔、ホリエモンを信じた根拠「具なしのお好み焼きで暮らしたことがある」はまだ消えてはいないようだ。

日本では酒造メーカの「一位」と「二位」の会社が合併するという。従来なら考えられない動きだが、実は世界的な順位で考えると何も不思議なことではない。今後日本の内需は100%減少に向かうのだ。「三丁目の夕日」のように人口が増えると同時に豊かになっていった時代の再現はもう有り得ない。ノスタルジーに浸るより「もっと前向きに生きる」ことを強いられる。その時、われわれは「観念のホリエモン」となることを避けるには「実像のホリエモン」の言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。「信用」を創造するためには「情報」は不可欠なものなのだから。

「若いうちは、思い切ってレバレッジをかけて、大きく勝負すればいいと思います」その根本は決して「額に汗しない投機的な勝負」ではなく「自分の信用を創造するコミュニケーションスキルの開発」に基づく勝負。つまりは「ボーイズ・ビー・アンビシャス」と彼は言っているのだ。どこかしらに痛みを伴いながら。

・・・・・・・・・

↑この書評は中途半端といわれるかも知れない。
(ただでさえ長くなりすぎたので)
「ヒッチハイクができるからって、何百億もかせげるようになるのか?」なると思う。というより、この関連がわからないと自分で金を稼げるようにはなれないだろう。彼の結論が100%妥当だとは思わないけれど、お金に縛られないためにはお金を別の角度から見る必要があることは間違いないだろう。
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by yoogy | 2009-07-31 19:05 | レビュー
(※SNS「mixi日記」より抜粋)


http://tagenmatome.blogspot.com/2009/06/blog-post_29.htmlまた「やる夫シリーズ」定点観測?

AAで構成された「やる夫シリーズ」にはまって久しいが、今回は新趣向だったと思う。舞台『ラ・マンチャの男』をなんとAAで表現したもの。

もともとがミュージカルなので、要所要所にyou tubeの楽曲が挿入されている。それがまた、有名な映画版だけでなく、世界中の舞台やレコードがまざっていて面白い。

『ラ・マンチャの男』は、たぶん人よりずいぶん多くの舞台を見てきているはずの(生涯トータルでいうと自信なくなってきたけど)自分にとって、理想の演劇のひとつ。ただ、最初に見たのが映画版だったせいか、松本幸四郎版の舞台の印象よりもそっちの方が強い。

ドン・キホーテといえばいわずと知られた「風車と戦った妄想老人」の話であって安売り店の名前ではないはず。

だが『ラ・マンチャの男』にはさらに一工夫あって、作者のセルバンテスが風刺劇を演じたために牢屋に入れられ、宗教裁判にかけられるまでの間に、牢屋の囚人たちとともにドン・キホーテの劇を演じるというもの。

拙くもテーマをまとめると「現実という牢獄と空想という自由の世界、しかし空想だけに生きることは破滅でしかないという現実」をみごとに組み合わせて描いている。

今回、AAとして読んでいろいろなことがわかった。これは映画や舞台で見ただけだと見落としそうなこと。

「…苦しみ、悲惨、残酷さ。神の作り給いし子らの嘆きをありとあらゆる場所で聞いてきた。…捕虜も兵士も経験した。戦友たちは戦いの中で、あるいは捕虜となって鞭打たれ、死んでいった…栄誉も、立派な遺言もなく死んでいった彼らの瞳には、ただ、<何故>という困惑だけがあった。<何故死ぬのか> ではない。<何故人間らしく生きられなかったか>だ!」
(AA版より抜粋)

「わかった」というのは、これが1965年初演で、劇中のセルバンテスは「40代」だと語っていたということだ。

すなわち、45歳と仮定すると、1945年は25歳ということ。

ミュージカルの作者・デイル・ワッサーマンがこのセルバンテスのセリフに託した思いが何だったかということ。

現実をありのままに受け入れても答えはない、現実から遥かに隔たった答えには破滅しかない。人は牢獄の中で夢見る力と、現実の中で戦う勇気を兼ね備えなくてはなならない。

やはり言葉にまとめるとつまらない。

「現実には」セルバンテスは宗教裁判になどかけられていないし、それどころか、徴税人のような役で人々に嫌われていたはずだ。だが、想像力は「そのような記録が残るには裏がある」と考えてしまう。現実のセルバンテスと劇中のセルバンテスの像が重なる皆既日食のような体験、それが観劇をするということ、空想を現実に重ねるということだ。そこから力が生まれ、そこから勇気も生じる。

やはり言葉にまとめるとつまらない。

ふと気がつくと、劇中のセルバンテスみたいなことをやろうとしている自分がいるわけで。江戸時代の馬場文耕先生のごとく「打ち首」を目指す、いや、目指さずとも恐れぬ表現者でありたいものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=RfHnzYEHAow&feature=related


いまも「ドラゴンクエスト」の「クエスト」はここからの発想だと信じてる。




※なぜわざわざ転載したか。その理由は明日の日記に…
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by yoogy | 2009-07-30 19:45 | レビュー