講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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34度の夏に、またもや二日連続でお台場へ。

今回はフジテレビではない、本当の「台場」だ。

今朝、5時起きで仕込んでいってついに暑さに負けてお客さまに話せなかったことを書くことにする。

この「台場」を挟んで、左手にはフジテレビ、右には遥かに六本木ヒルズ。1853年の夏、黒船は遥か羽田沖までやってきた。金融ビッグバンの落とし子も同じ場所へやってきた二年前。

この「台場」を築くために全力を使い果たした韮山代官・江川英龍は55才で死んだ。その場所に立って150年後の黒船を思う。

江川を含む「尚歯会」(渡辺崋山、高野長英ら)のメンバーは海外の脅威から国を守るため洋学を吸収しようと勤めていた。結果が、朱子学を中心とする「林家」の一族である町奉行・鳥居耀蔵の捏造による大弾圧をくらった。これを「蛮社の獄」という。崋山は自害、長英は逃亡の末幕吏の手で惨殺された。

ホリエモンの逮捕と一連の事件は、私の中では「現代の蛮社の獄」だった時期が「あった」。

ペリーは、のちのあの激戦の小笠原諸島を「アメリカ人が住んでいる」という理由だけで手に入れかけていた(まさしくスティール・パートナーだ)。その時日本を救ったのは、過去に弾圧されて死んだ林子平の小笠原の領土問題を記録した『三国通覧図説』のフランス語訳だった。もしこの本が海外に持ち出されていなければアメリカ国境は何万キロも西にあったはずだった。

知は常に弾圧される、弾圧されねば有効な知ではないとさえ言える。江戸末期の動脈硬化した国家に進取の精神が活躍の場を与えられたからこそ現在の日本があったはず。

江川英龍の門下には桂小五郎、佐久間象山、その門下には吉田松陰、勝海舟、その門下には龍馬…。彼らは「その日」この沖に間違いもなく「未来」を見ていた。この台場に立ってそれを思いやる時、フジテレビはすでに視界から消え去るのだった。


・・・・・・と、ここまで喋るつもりだったが・・・・・・。





あ、オチは「その時も<阿部>政権だった」というものですが。






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by yoogy | 2007-08-09 20:13