講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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<   2007年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

今日はお茶の水から湯島にご案内+高座の仕事。
裏テーマは司馬遼太郎。なにしろ『街道をゆく』を読んだせいで湯島聖堂で二年も漢文勉強しちゃったから。銭形平次とハチがホームズとワトソンだとか、「婦系図」のお蔦主悦が泉鏡花の体験談で「先生」は尾崎紅葉だとか、飛ばす飛ばす。雨なのが残念。

昨日買った『サラリーマン金太郎 マネーウォーズ編』。要するに講談の限界点はここだと思う。つまり、漫画が「正確さ」より「倫理性」より「盛り上がり」を原理とするように、講談もここを目指すものなのだと。金太郎の持つ「男」という物語の盛り上がり。ここから先を望むなら物語を捨てるしかないのだと。

金太郎のケンカの相手はとうとうジョージ・ソロス。まあこの、マネー編一巻に出てくる人物の顔ぶれだけで、けっきょく自分が「これ」の追従者であることははっきりする。あきらかに司馬先生も生きて出てくるし、ジョージ・ソロスは金太郎に向かって坂本龍馬を説くし。(そういえば、いつか夢の中で「日本のジョー・ソロスになれ」という言葉を聞いたんだが、あれは何だったのか? ちなみに、マンガの中の役名は「ジョー・ロス」)。

結局、金太郎は「侠客モノ」なんです。つまり、日本人が、特に男性がアウトサイダー、もしくはアウトローとして、権威に頼らずに生きるための祖形を踏襲している。金太郎は本質的に893だし「サラリーマン」を機能集団から「血の通った組織の組織員」として取り戻し得ることを描くことがこのマンガの目的だったはず。だからかならず最後は抗争になるし、金太郎は必ず「ゲンコツを使ったコミュニケーション=ケンカ」に勝つ。

スゴイのはジーョジ・ソロスですらが、金太郎とのマネーウォーズに負けて「俺はまだ引かん!」と言った途端「謎の大物」から電話がかかり「手を引け」「ハッ」とその道の親分よろしく素直に引き下がってしまうところ。地球にはどんだけ親分がおるねん!

要するににアウトローですら、その生き方を保証するのは「裏であれ」表であれ「権威」の存在。だから「枷」ができる、だからそれに反抗する「物語」が作れる。

ジェームス三木氏が「物語の主人公、とは問題を自らの力で解決してゆく人物」そりゃあらゆる物語でそうだろう。誰かが敵と出会ってそれをいつも解決してくれる存在がいたら、そっちが主人公だろう。ねっ、ドラえもん?

だが、今回の金太郎のケンカは「市場」という絶大な存在感を誇りながら抽象的な場所であり、しかもケンカはネットを通じてしか経過を知ることができない。「仲間がやられそうです」「なにいいいいい!」とサラシ巻いて出かける場所はどこにもない。マネー編のクライマックスがなぜか個人ジェット機の中で相場の動きをパソコンで見守る金太郎。これ、ジェット機が苦肉の策であることに気づくと、「もはや<男>のケンカではない」。

なんとか舞台を新しくすることで<男>の物語を描いてきた金太郎だったが、もはや、金太郎が絶対に浮気をしないという描き方も含めて、アウトロー・権威への(より上位の権威に保証された)反抗、男=殴り合い、の三点セットは終極を迎えたように思う。第一、ジョージ・ソロスに勝っちゃったら、あとケンカの相手なんて「アメリカ正規軍」しかいないだろう。

もう一度確認してしまうが、金太郎の限界は講談の限界でもある。「物語」全般とまでは言わないが、「血涌き肉踊る」<ケンカ>というクライマックスはもう、ノスタルジーとして以外は描けなくなったのかも知れない。「頑張れ!金太郎! 浮気ぐらいしてくれ!」 と声援しても虚しい限りか。

ちなみに、金太郎もホリエモンを完全に肯定して描かれている(逮捕前だろうが)。
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by yoogy | 2007-02-23 19:27

【メモ】R-1分析

芸人が、テレビで人の仕事を見て、「分析」とかしてるのってどうなんだろ。

と、思いつつ、まあ自分にも役に立つ・・・といいな・・・と思うのでいいだろう。

ピンのお笑い芸人のチャンピオンを決める「R-1」放映を見て完全に一位、二位、三位の順位を予想して当てた(一位と二位は同点決戦だったが)。チュートリアルの分析は去年の1/25に書いたので、今日はバカリズム。

某掲示板で「トツギーノ」の中継をしている時分析を書いてほめられたのが印象に残っている。このネタについてはYou Tubeで検索すれば簡単に見られるが、さすがにここにURLは書かないことにします。

なぜこれが面白いのか? 実況に書いた分析はこうだったと思う「嫁ぐ、という非日常的な単語で緊張感を持たせ、意外な方向に展開させ驚きに流れるべきエネルギーを笑いに転化させている」うーん、もうちょっとうまく書いたはずだが・・・。ここで大事なのは「笑いに転化させる」のは結局センスなので説明できないということだ。「トツギーノ」を最後に「ジョルジーニョ」という音の近いものに導くわけだが、これが「ボラギーノ」とか「トツギ県」では笑えない。

しかし、演者が確実に「緊張させてその緊張感が解放される瞬間をまたせる」比喩的にいって「エネルギーのたまった」状態を作ることを計算していることは間違いない。

今回のネタは「仮面トーク」として、ごく普通の日本史の授業をイニシャルトークで行う、というものだった。

織田信長を「O田N長」ということが、なぜ笑いにつながるか?

笑いが緊張感の解放によって起こるというのはさんざん言われたことだが、もうひとつ「差別」というファクターがある。

「差別」というの一番悪い表現だ、つまり「安心感」これが「緊張感からの解放」につながる。「他人がみんな知っていることを自分だけが知らないのではないか」というヒヤ汗をかくような緊張感、それを瞬時に作り出して、「いや、自分も知っている、むしろ他人が知らないようなことまで」という安心感を作ることは実は笑いの常套手段なのだ。

「イニシャルトーク」は「O田N長」、音で聞いた瞬間、すぐに織田信長と理解するのは難しい、だが、「H狭間」だの「T砲」だのという単語が聞こえると「ああ、織田信長か」とわかってそれまでの緊張感から解放される。「I川Y元」にいたっては(今川義元)ほとんどこの「安心感」が生まれるかどうかの限界である。12/25の時も書いたと思うがこの限界が限界に近ければ近いほど、解放感の効果は高まる。

もちろん「トツギーノ」同様のセンスもある。「T砲」を「てー砲」と発音せずに「テイッ砲」と発音することによって、方言によくある訛りに近いズレ方となって笑いにつながる。これも限界に近いところを狙っている。

あらゆる計算づくの笑いの上で、演者自身は「今日は三位を狙います」と言って、しかもその通りになった。それは計算され尽くしたゆえのインパクトの欠如を予想していたのだろう。

何が面白かったといって
某掲示板で、「この笑いがわからないヤツはバカ」とか「こんなの面白いと思ってるヤツは死んだ方がいい」とか、とても演芸を楽しんでいる観客とは思えないような罵り合いが、この演者のもの限らす、始まっていたということなのだ。

笑うことによって解放感を得ようとして番組を見ているのに、「自分だけがこのセンスを理解できないんじゃないか」という不安感に襲われている。だから「自分が理解できる笑い」が出現した途端に、勢い余って「これが本物、これ以外はダメ」という、偏狭な宗教信者のような反応をしてしまうのだ。

その意味でも「お笑い」は華やかで殺伐とした戦場なのである。
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by yoogy | 2007-02-18 19:00
【2/14】

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/page007.html

「講談インターネットWeb2.0編」を構想する前にホリエモン肯定講談をやっつけなくてはならない。

まあほんとに「やっつけ」ちゃおうと思うので、ワンアイデアで、ライブドア裁判を大岡越前に裁いてもらおうかと思う。

去年出せなかった「堀堀衛門」にすると本格的に江戸中期に近代的な経済活動をやらせなくてはならない。田沼期ならば出せなくもないが、享保ではまだ無理がある。

ところで、どうして講談で英雄に祭り上げられる人物はそろいも揃って経済オンチなのだろうか。

というか、物語的に歴史をみると日本人自体が経済活動を卑しいものと見ていることがハッキリとわかる。

「江戸の三代改革」なんていうのが享保をほんの少し例外として失敗であったことは「将軍自ら倹約に勤めた」という「美談」の前に見事に忘れ去られてしまう。田沼意次が賄賂政治を行ったという「記録が残っている」ことがとりも直さず彼が言論弾圧を行わなかったという証拠になることに思いいたる者は少ない。

大岡越前がホリエを攻めるとすれば「多くの人を騙し私腹を肥やした」という点になるのだろうか。「じゃあ、大岡さん」「お、大岡さんとは何じゃ!」「私の数百倍の単位で人を騙した日興はなぜお縄にならないのですか?」こんな感じだろうか。

話が広がりすぎるが、まあ、初期段階では話を広げるだけ広げるのが定石・・・って、三日しかないんですが・・・。

【2/15】
どうも、アイデアにつまるとお白州にする傾向がある。

なぜかといえば、古来「裁判劇」というジャンルがあるように、お裁きの場というのは根本から演劇的だからだ。

まず「役」というものが明確に存在し、人間の欲望がモチーフとなって必ず「結論」が出る。これだけでもラクに演劇になる訳だ。

形式が講談でないと何がなんだかわからなくなるので、普通のお白州ものとして始まって、下手人(実際には下手人は死刑囚のことなのだが)が堀衛門。吟味の内容はモロに「証券取引法違反」ってことではどうだろう。江戸時代に証券制度があったのかというと、あったのだが、米オンリーだったため、微妙に例がズレそうだ。そこで、堀衛門に申し開きとして金融ビッグバンからの歴史を語らせる・・・。面白そうだけど、これ、大岡さまに裁けるのかなあ。

あと二日。
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by yoogy | 2007-02-15 12:06
<<<1/28のミクシィの日記の再録です>>>

いきががりですが、次の高座で(独演会ではない)ホリエモンを徹底的に擁護しようと思うので、メモ的に書いていきます、意見があったらdosidosiください。

だいたい芸人が世論とあまり乖離した意見を主張するのってよくないんですよね。たしかに「あ、そうか」とちょっとしたウラを見せるような、啓蒙的な機能は芸人の中で一番持って許されるのは講釈師だと思うけど・・・。

江戸時代の馬場文耕先生が御家騒動を取り上げて幕府批判をして打ち首になった話はいつもするのですが、それにしても「お上のお裁きは間違ってる!」というものであり、庶民感情に沿ったものであったはず。

それが今回、どう考えてもホリエモンの有罪を求めるのが世論というものでしょう「あんなに羽振りがよかったのは、裏で悪いことをしていたから、今更泣き落としなんて、なんてミジメな男だろう」と。

いったいなんでそれを擁護しようというのか。

まずは、なぜホリエモンが嫌われるのか。それを明解にしていかなくては。

<「金がすべて」なんて、仮に本当だとしても言ってはいけないだろ>情報には疎くても筋を通すことにかけては信念をもっているある知り合いの発言。たしかにホリエといえばこれが信念で単なる金の亡者に分類できなくもない。

以下引用・・・・・・・


<草野VS堀江>
草野:金がすべてというのはどんなお気持ちから?
堀江:いや、お気持ちではなく、これは世の中の真理ですよ。
草野:でも、そこの言葉だけとってしまうと・・・
堀江:ではお金に色はありますか?ないでしょ?お金で買えないものっていうのは身分差別とか人種差別とかに繋がるんですよ。そう思いませんか?
草野:うん
堀江:容姿だったりとか、家柄だったりとか、人種だったりとか、そういうものって変えられないものじゃないですか。まあ容姿は変えられるかもしれないけど、変えられないものってありますよね。変えられないものは差別に繋がるんですよ。でもどんなに貧乏人でもねどんなに頭が悪くても運動神経が鈍くても、金は稼ぐことができるんですよ。それはわかりますか?
草野:うん
堀家:だからそういう意味でお金はフェアな価値基準ですよって言ったんですよ。
草野:なるほどなるほど
堀江:世の中お金じゃないっていう人はどういう人が多いかというと、権力を持ってる人、既得権を持ってる人がそういうことを言うんですよ。僕は今までの経験上、お金で人の価値は決まらないとか言う人に限ってお金に汚いですよ。それの反面教師でそういうことを言いたかったんですよね。誰も言ってないし、でもあえてそれをいうべきだと思った。
草野:うん。それはわかりますね。
堀江:でも今のようなことをですね、普通に柔らかい表現で言っても誰も聞いてはくれないですよ。これは一つの問題提議ですよ。恵まれた環境の人はわからないかもしれないけど、それをわからせてあげたい。あまりにもお金をバカにしすぎ。いらいらしちゃうんですよ。

・・・・・・・・・・・・
ついに意図通りに書けなかった「坂本龍馬・ホリエモン編」のしかし上梓された部分の結論は奇しくもこのこととほぼ同じだった。
http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/88hori.htm


いや別に奇しくなかろう。



【見えた!】

今回のホリエ逮捕は「龍馬暗殺」なんだ!
硬直化し、新しい事態に対応し得なくなった旧勢力を倒すために利用し、コントロールしきれないと感じたところでそれを担いだ勢力が旧勢力の力を利用してそれを始末した。

そういうことではなかろうか(メモなので変わるかも)。


【こういうたとえもできるな】

「ホリエモンは吉良上野介である」
LD株およびLDショックによる新興市場の総崩れによって大損した連中は本来なら不当逮捕(かどうかはまだ保留だが)に踏み切った政府を攻撃するべきなのが当面顔の見えてるホリエモンに攻撃を集中している。

つまり、市場についての知識のある連中が逆恨みでホリエを攻撃していることが一段と問題を見えにくくしている。

【といって、ホリエを肯定しているわけではない】

体がガタガタになっていたので、ひさびさに近くの銭湯へ行くことにした。五時まで待って、せっけん箱を洗い直して向うといつの間にか休業中になっていた。どんな事情があるかしらないが、儲かって仕方ないという状態であったはずはなかろう。

これで、この界隈(1キロ四方くらい?)に銭湯は一軒もなくなったはずだ。

今は「なんだよ~、五時まで待ってたのに~」で済んだが二軒前のアパートに住んでいた頃なら文字通り死活問題だろう「風呂に入れない生活」なんて憲法違反ではないか。市場原理によって淘汰された結果「ごく一部の」自宅に風呂のない層の住民は困りはてることになる。一面ホリエのいう「お金がすべてを平等にする世の中」はそういうものだ。ホリエは日本におけるグローバリズムの大衆的な推進力だったのだ。だからこそ政権与党が彼を候補にさえたてたのである。

だから今後ホリエを擁護してもそれは彼を肯定するということではない。これは予防線ではなく、「ホリエを批判するなら正しく批判せねばならない」。そうでなければ彼は単なる隠れミノになるつまり
「グローバリズムはいいことですよー、お金がすべてを決めるのはいいことですよー、ただ、ホリエみたいにズルしちゃいけないんですよー、わかりましたねー」これが本質の隠蔽でなくてなんだろうか。しかも、そのズル自体が、いまのところ証拠も見つからない状態で「やったに違いない」で有罪にする気マンマンだ。

私は坂本龍馬に魅力を感じているが、龍馬信者ではない(だからぜんぜん龍馬講談が商売にならない)。彼がめざしたのは古い身分制度をこわして商売上手が評価される平等な世の中だ。それが当時は合理的であり日本を守る手だてでもあった。だがその結果がどういうものであったか、彼の実質上の後継者である岩崎弥太郎の郵船事業の狂ったような過激な競争を見れば充分だろう。

つまり、ホリエのやろうとしたことは龍馬のやろうとしたこととなんら変わらない。だからこそ、批判されるべきは批判されねばならない。

龍馬の目指した世の中が壊したものを認識するために「龍馬は脱藩した犯罪者だった」という批判は見当違いもはなはだしいだろう。ホリエのしたことを「証券法違反」ということで断罪するのはあまりに安直すぎる。
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by yoogy | 2007-02-07 18:45
音声ブログは
http://yoogy1.cocolog-nifty.com/
なのですが、テキストに関してはこちらをメインにしてみます。

炎上させる場合はぜひこちらへどうぞ(笑
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by yoogy | 2007-02-01 14:40