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講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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「ラストサムライ 大隈重信」

私の講談(まあ、演技、だな)の雰囲気を知る人は、ちょっと思い出しながら読んでほしい。

「これが今の世か。まっとうに働いてきた人々を苦しめその身を縄で縛りあげ、先に何の希望も持たせない。勤皇だ佐幕だと騒いでみてもしょせんは武士同士の内輪もめ。いつの間にか民をここまで追い詰めてしまった。…いったいわれわれ武士は、<人のために生きる>はずの武士は、今日まで何をやってきたというのだ!」
 
血管切れそうになりながら言います。

もともとは大学の校友会の依頼で書いた大隈重信。しかし、せっかく書くのなら5年後くらいの大河ドラマをめざせ! とリキ入れて書きました。構成的にはクライマックスが話の真ん中の前にきちゃうんですよね。つまり、大隈候(龍馬「さん」に対抗して支持者の前で呼ぶために考え出した呼び方)のもっとも劇的な局面、かつ普遍的な場面は慶応四年(明治元年)にきちゃうんですよ。亡くなったのが大正11年ですからねえ…。

その「劇的な局面」とは英国公使パークスとの宗教論争のシーンだ。この論争は実に深い。まだ「ヤソ教・バテレン」と忌み嫌われていた時代、信者は死刑になる時代に、大隈重信はマタイ伝の10章34節を引いて「宗教は必ずしも平和をもたらすものに非ず」(私が平和をもたらすためにきたと思うな、私は剣を投げ込むためにきた)と喝破している。めったに書かないのだが、実は私のペンネームの「さきむすぶ」はこの聖書の一節から来ている(割き・結ぶ)。大隈さんすげええええええ! である。

しかし、この「国の現状を普遍的な真理より優先せよ」という理論は、もしかすると現在の独裁制・独裁体制を取っている多くの国の正当化にもつながるのだ。つまり、大隈候は普遍性よりも現実性を優先させた、これこそ真の政治家というものだ。だが、それゆえに、彼には他の英雄たちにあるべき魅力がない。つまり「現実的であるがゆえに」。

ならば彼の魅力とは何なのだろうか、とさぐったのがこの講談といえる。CDも無事完成しそうだし、そのことはまた、ゆっくりと書きたい。

3月12日(土)昼席・本牧亭トリ

http://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/

by yoogy | 2011-03-06 15:30 | 高座