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講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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iPadで読んだ『拝金』(堀江貴文)の感想文をそろそろ書く

本当は【批評】と銘打って本腰入れて書くつもりだったのだが・・・。

初めて「iPad」の欠点を知った気持だ。いや、電子書籍の欠点というべきか。いままで電子書籍では、青空文庫の古典のほかは『志 孫正義正伝』『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』そして『拝金』と読んだ。購入がオンラインで済むので躊躇もなく、電子書籍だからこそ読んだのだと言えるかも知れないが…。

「書き込めない」

私は本というのは汚せば汚すほど愛着が出るものと信じている。古本屋に売ることもできず、本かノートかわからないくらいになることが本を愛することだと思っている(一種のフェチなのでマンガ以外はめったに売らない。マンガには書き込みしないから)。ところが、現時点での欠点ではあるだろうが、電子書籍は「書き込みができない」仕方ないのでメモ帳開いたり、「しおり」機能のあるものもあるが、この『拝金』にはそういうオプションがなく、それなのに三冊のうちで一番価格も高かった。なんでいまさらホリエモンに大枚千円も払わなきゃならんのか、と腹立たしいのは事実。

そして、批評を書こうにも、しおり機能もないし、パラパラとアンダーラインを引いたところを確認もできないから、まさしく「印象批評」にしかならないから「感想文」としておく。

では感想。

ホリエモンは自分が思っていた人間像を寸分裏切らない人物だった。

ホリエモンを論じる時、確実に「金」の問題を論じることになるわけで、絶対に冷静に論じることはまともな人間にはできない。彼が「何の努力もせず」右から左に数百億円を得たことを認めてしまえば、自分の人生観すら揺らぎかねない。虎の檻の中に入って虎を観察することが不可能なのと同じだ。

この『拝金』の中で、自身がモデルとおぼしき若者は、「オッサン」(これも自分がモデルなのだろう)に導かれてゲーム開発を切っ掛けに「ヒルズ族」として時代の寵児となり、ホリエモンの駆け上がった道とほぼ同じコースを成り上がる。その成り上がり方は上品なものとはいえないが、それに耐えて読み進むと、「バッファローズ買収騒動」から「フジテレビへのTOB」へと話が進んでゆく。当時の成り行きをフォローしていた人間にとっては大変興味深い。まるで客席で見ていた手品を、こんどはタネがまる見えのバックステージから見ているような。

そして、いろいろ溜飲がさがる。「ホリエモン」を時代の寵児と見ていた時、彼が壊そうとしていたものに感じていた反感を、彼の逮捕という事実によって否定されたと思っている人には是非読んでほしい。あの爽快感が戻ってくる。「滅びるべきものは滅びるべくして滅びよ」バブル時代ですら感じられなかった「進歩」というものが一人のカリスマを通して感じられる快感、とでもいおうか。

だが。

だが。

彼はしかし「英雄」ではなく「マジシャン」だったことも、バックステージに回ればよくわかる。ゆえに、その「手品」を信じてしまった人間がやがて道を見失い絶望していったことにも思いいたる。「自分が一生かかっても稼げない金をあっという間に手にしてしまう」ことも、その金が本物だとしても、それは「マジック」だったのだ。タネを知っていれば誰でもやれた(もちろん、才能と努力は確実に必要だったにせよ、ホリエモンでなければできなかったワケではない)だが、ルビコンを渡った人間はやはり評価されなくてはならない。

いま、今日、話題の日本のエライ人をどうしても好きになれないのは、ライブドア事件の時、彼は凡庸な法律論を述べることしかできなかったという記憶があるからだ。マジシャンは詐欺師ではない。法律を犯すことはもちろん肯定できないが、そこに存在するさまざまな多様性を認識した上で法律を根拠として「あえて」選択するのととりあえず法律を持ち出しておくのとでは天と地の差がある。かの人に「革命」はできまい。

ではホリエモンを「革命家」とまで評価していいのかというと、本人もわかっているのではないかな「今のままでは否だ」と。だからこそ、あえて自分の「成功」の顚末を「操られた」ものとして描いたのだと思う。

『拝金』は読まれている。だが、たとえばツイッターで読むような感想の多くは、ライブドア時代の「カリスマの夢をもう一度」としてしか読んでいなくもなく見える。あえて言う。これは彼の「自己批判の書」でもあるはずだと。


ドラマ『ハゲタカ』とこの『拝金』。ふたつのフィクションは、いっこうに出口の見えない「市場至上主義社会」の出口をクラインの壺のようにかいま見せてくれている、はずである。
by yoogy | 2010-08-27 00:14