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講談師・神田陽司のテキストブログ


by yoogy
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【感想文】『峠』上・中(司馬遼太郎)~方谷庵だより

今年からは、別のブログや別名で書いたブログもここに転載してゆきます

「幕末強化年間」を実行している。

河井継之助といえば、幕末通を自負するのなら細部まで知っていなければならない一人であろうが、実は興味がなかった。新しい時代を拓いたものは維新勢力であり、それを評価して受け入れた慶喜にも贔屓がある。だが、長岡藩の世界交代に果たした役割は末節のものに思えた。

話としても面白くない、出だしが。河井は学問を修めると称して江戸へ出たのに吉原で遊んでばかりいるし、何より「俺はこれでいいのだ」と自分の好きな数冊しか読まない。情報は知識であると同時に人格を形成する建材となるものだ、知識制限をした人間には魅力はない。

だが、司馬先生のことだこのままでは済まぬだろうと思っていたら案の定だ。上巻の途中で旅に出るあたりから引き込まれてゆく。例のごとくシンクロニシティで、その目的地が、昨年暮に自分が訪れたばかりの岡山県高梁である。やがて風雲急をつげて藩の要職につく頃には遊び人の継之助は完全に姿を消し、堂々たる武士の風体をあらわす。

そう、考えてみれば幕末に関わるいままで親しんできた連中は、龍馬は超然として宙にあり、維新勢力のほとんどは革命家であり、新撰組は武士足らんとする武士以外の者であり幕臣たちは敗者の役をふられている。諸藩にあってただ自己たらんとして、しかもその視野が時代の主役勢に及んでいるのはたとえば河井なのであろう。

痛快なのはこの河井に、剣の腕が「ない」ことで、売り物に花で幕末の連中は文官でも腕は立つはずが、命懸けで藩改革を行う河井にそれが「ない」。しかしその美学は最も決死の武士たるものである。敵に囲まれても


<<…その男が地を蹴った。しかし継之助は泰然と立っていた。抜きもせず、避けもせず、あごを心もち上にあげ、呼吸も乱さず、風の中で自然に吹かれていた。
(わが生命を)風が吹き通ってゆく。それが継之助の平素の工夫であり、生き方であり……風をしておのれの生命を吹き通らしめよ>>

禅であり陽明学である河井の真骨頂である。戦えば負ける、死ぬるがそんなことは自分の事業とは関係がない。このあたり「志士たるもの常に溝ガク(たぶんネット上では文字化けするので)にあるを忘れず」とわざわざ自分に言い聞かせる龍馬よりよほど境地が高い。

死地に向かう時にも己の肉体をみず生命だけが風に向かって歩いてゆく。
そこに独りよがりな「武士道」などという人工的な美学を用いず、マゾヒズムですらなくかつ自己陶酔でない使命感としてのプラグマティズムがある。ううむ、かっこいい。

ここまで読んで、いまこれを書いているこの部屋を「方谷庵」と命名。これは継之助の師匠、山田方谷(ほうこく)の家についての以下の記述から。


<<冬は十時に陽が出て、二時すぎにはもう沈みます>>


まだ中巻までしか読んでいない。が、こういう中途半端なところで感想文を書いてみるのも面白かろう。下巻に進めば大事なところを、「戊辰の戦でガトリング銃をブッ放した男」としての印象に忘れてしまうかも知れぬから。
by yoogy | 2009-01-10 23:25